【山城博明通信員】ボリビア北部、サンタクルス県の北に位置するベニ県リベラルタ町には多くのウチナーンチュたちの子孫が住んでいる。1世紀前、ペルーへ契約移民として到着した多くのウチナーンチュたちがボリビア北部でのゴムブームに魅了され、ボリビアへと向かった。汽車、さらに徒歩で1カ月余りの行程。途中、4千メートル級の有名なアリコマ峠も越え、危険な旅を続けながら、ボリビアに入った。

1906年10月16日、横浜港を出港しペルーへ向かった沖縄最初の36人の移民の一人、具志頭村出身の上地樽さん

仲良く笑顔を見せる、上地樽さんの娘ロサさん(右)と孫のマイダさん=サンタクルス市

1906年10月16日、横浜港を出港しペルーへ向かった沖縄最初の36人の移民の一人、具志頭村出身の上地樽さん 仲良く笑顔を見せる、上地樽さんの娘ロサさん(右)と孫のマイダさん=サンタクルス市

 当時、リベラルタの町はゴム景気で沸いていた。ゴム樹液の採取に従事するため誰もがそこを目指したが、ベニ県リベラルタ町までの移動手段は、大木を切ってイカダを組んで大河の流れに乗って下るか、あるいは小さな舟だけ。ゴム景気が後退すると密林でのゴム樹液作業を諦め、多くが町近郊に土地を求めて農業に従事した。

 1914年にはリベラルタ沖縄県人会が、翌年には日本人会が設立された。16年ごろには沖縄県人が100人以上いたといわれている。その後も多くのウチナーンチュたちが同町に集まってきた。

 戦後、リベラルタの沖縄県人は「沖縄戦災救援会」を設立し母県へ救援物資を送っていたが「金品義援という救援手段にとどまらず、進んで民族永遠の発展の旗印として、ボリビアに沖縄村を建設し、母県沖縄から移住者を迎え入れよう」と計画し、現在のオキナワ移住地が誕生した。