25年ぶりにセ・リーグを制した広島カープの歴史は、企業主導でできた他球団とは異なる。1950年、市全域が「原爆スラム」と化した広島の復興を願い、市民球団として誕生した

▼特定の親会社を持たない上、自治体には当初予定の出資額を大幅に減らされた。翌51年、存続危機に陥ると「希望の火を消してはならぬ」と市民が立ち上がった

▼始めたのは球場に樽(たる)を置き、カンパを募る「樽募金」。呼び掛けのほか、切符売りや球場警備までやった。67年にマツダが球団を引き受けるまで、カープを支えたのは市民の限りない郷土愛だった

▼その後も市民主導で支えるとの意を込める時、広島では樽募金が登場する。おととし、広島出身のミュージシャン奥田民生さんが広島土砂災害の義援金を募るため、自身のライブ会場に樽を置いた▼沖縄でも戦後直後、海外移民からの送金や物資が困窮にあえぐ人々を救った。米軍の圧力で、窮地に立った瀬長亀次郎那覇市長を支えたのは積極的に税金を納め、カンパを寄せた庶民だった。最近では、心臓移植が必要な4人の子を県民の募金で助けた

▼今、森川陽茉莉(ひまり)ちゃんへの心臓移植費用が全県で呼び掛けられている。集まった額は目標の半分の約1億4千万円。きょう、陽茉莉ちゃんは1歳8カ月になる。5人目の命、県民の力で。時間はない。(磯野直)