本書は2011年からの5年間を由井晶子さんらの視点で記録された現代沖縄史だ。私は地元紙を読み、SNSで人々のニュースへの反応を読み、私見を書き綴(つづ)るのを日課としているが、改めて本書を読むと、沖縄の現実の、その「重苦しさ」に押し潰(つぶ)された。
不当に奪われ軍事基地として占拠され続けた土地を返せという話が、いつの間にか新基地建設へとすり替わり、それが「沖縄の基地負担軽減」だという。信じがたい現実に抗(あらが)う私たちの傍らで、ある者は米兵に強姦(ごうかん)され、ある者は殺され、戦闘機は墜落し、有害物質の詰まったドラム缶が「出土」し、オスプレイが配備され、ついには自衛隊配備まで推し進められている。
由井さんは基地をめぐる裁判闘争にも、教科書問題にも、同時に反応しながら、選挙を戦い、平和運動を絶え間なく続けるウチナーンチュの姿を記録している。また彼女は歴史を見つめ未来を描くうないフェスティバルやウチナーンチュ大会から、ネトウヨ思想が沖縄に持ち込まれる現実も書く。
私の身体は激動の「現在」を再体験し、酷(ひど)いフラッシュバックに打ちひしがれながらも、知を創造し積み上げてきたワッター(私たち)ウチナーンチュの姿を意識していた。沖縄のどこが「希望の島」なのかと、タイトルに疑問を抱いたが、一進一退しながらも希望に向かっているウチナーンチュ、そしてワッターに呼応する日米の人々の存在が「希望」なのであろう。
私の個人史に照らしてみれば、この5年で2人の子どもの母親となった。母としての人生はこの本が記す歴史とともにある。大きなおなかで参加した抗議集会、保育園の連絡帳にオスプレイが怖いと書いたこと、県民大会で童神に涙する私を息子が抱きしめてくれたこと。私や家族の歴史は「沖縄の基地負担」や「誰かの死」と直接的に繋(つな)がっている。そしてその事実は私が次世代に負の遺産を受け継いだことを意味する。せめて彼らが大きくなる前に、本当の「負担軽減」を果たさなくては。それは沖縄を生きる大人たちの71年間の「希望」なのではなかろうか。(親川志奈子・オキスタ107共同代表)