ローマ帝国やオスマン帝国のものとみられる硬貨がどのような経路で沖縄の地までたどり着いたのだろうか。いったい誰が、どこで、何のために手に入れたのだろうか。


 「琉球王国のグスク及(およ)び関連遺産群」として世界遺産登録されているうるま市の勝連城跡の地層からローマ帝国とオスマン帝国由来とみられる銅製の硬貨が計5点出土した。いずれも国内初である。

 このうち4点は3~4世紀のローマ帝国のものとみられ、14~15世紀の地層などから見つかった。摩耗が進み、図柄や文字は不鮮明だが、エックス線調査で皇帝の肖像やローマの文字が読み取れる。

 1点はオスマン帝国のものとみられ、皇帝やアラビア文字のサイン、1687年に相当するイスラム暦が刻まれている。最下層で見つかっており、何らかの原因で地層が移動した可能性があるという。

 勝連城跡の「四の曲(くる)輪(わ)東区」で2013年度の発掘調査で発見された。それほど身分の高くない人たちが生活していた場所だという。

 勝連城は12~13世紀にかけて築城され、14~15世紀に中国や東南アジアとの海外交易で栄えた。1458年に10代目城主の阿麻和利(?~1458年)が首里王府に攻められ廃城したが、17世紀ごろまで利用されていたとされる。

 うるま市教育委員会は、勝連城跡に関わる人物が東アジアのどこかで、西洋に関係する貨幣を手に入れたのではないかとみている。海外交易で活躍する先人たちの姿をほうふつとさせる発見だ。

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 さらに調査研究を深めてもらいたいことがある。発見された硬貨は計10点に上るが、残り5点は、時代区分やどこの国の貨幣なのか、まだ特定できていない。

 だが、中国を中心とする東アジアにおける前近代の金属製貨幣は、中央に正方形の穴があいた円形の鋳造貨幣である。これに対し、未解明の5点はローマ帝国やオスマン帝国のものとみられる貨幣のように中央に穴のない鍛造(たんぞう)(金属をたたいて成形する方法)による円形の貨幣である。違いははっきりしている。

 ローマ帝国の貨幣は周辺で模造品がつくられているとの専門家の指摘もある。銅貨の成分分析を詳しく行い、確定の精度を高める必要がある。

 入手先は専門家の間でも中国や東南アジアなどさまざまな見方があるが、出土している国との比較研究を進め、どのような経路で沖縄に入ってきたのかを探ってほしい。

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 間接的にせよ、沖縄と西洋文化の接点に驚くが、18世紀にフランス流測量術が中国経由で沖縄に伝わり、世界的にみても当時の先端を取り入れていたことがわかっている。

 県内では今年に入ってから考古学・人類学上の貴重な発見が相次いでいる。石垣市の白保竿(さお)根(ね)田(た)原(ばる)洞穴遺跡からは東アジア最大規模となる旧石器時代の人骨十数体分、南城市のサキタリ洞遺跡では2万3千年前の世界最古の釣り針が発見された。

 貨幣は市立与那城歴史民俗資料館で展示されている。足を運び先人たちに思いを巡らせるのもいいかもしれない。