沖縄の地に生まれ育ったことを「僥倖(ぎょうこう)」だと語る表現者・大城貞俊。本書では大城の著作が系統的に取り上げられ、沖縄という場と重ね合わされながら論じられる。

めるくまーる・1944円/すずき・ともゆき 1962年東京都生まれ。法政大教授。著書に「村上春樹と物語の条件」「眼の奥に突き立てられた言葉の話」など

 著者は、詩人として出発し、小説に活躍の場を移していく大城の歩みを丹念に辿(たど)りながら、大城の「小説」は個人的体験ではなく「人々」によって共有された、いわば共同体の体験によって支えられた「物語」的要素を色濃く有するという視点から分析を進めていく。その視点は、単純素朴な感覚を手放さない大城貞俊文学を「小説」の完成度という次元で評価するのではなく、沖縄という場に、あるいは沖縄で形成される共同体に強く結び付いた表現として分析するための理論的枠組みとなって本書を支えている。 

 しかし描かれるのが「人々」の体験である以上、そこには多様な体験や記憶が層を成して存在している。共同体の公共的な記憶と私的な記憶がせめぎ合う場面は避けようのないものとして大城の作品にあらわれる。「人々」の一人一人が生きるために選び取った行為は、時に反社会的であり、反共同体的だ。その意味では、大城貞俊文学は共同体と個の軋轢(あつれき)を描く「小説」的な主題とも無縁ではないと著者は言う。

 物語と小説の間を揺れ動きながら沖縄を生きる「人々」を描くということは、戦争や占領を描くことに他ならない。言うまでもなく、それらの出来事は膨大な死者の記憶とともにある。生きることが死者と分かちがたく結び付いている状況にあって、大城貞俊文学は死者を抱え込みながら多様な生のあり方を肯定しようとする。しかし一体、誰が、どのようなかたちで多様な生を肯定することが可能なのか。一つの生を肯定するとき、別の生が踏みしだかれはしないか。

 著者は一つの生を肯定しようとするときに生じる軋(きし)みを聞き逃してはならない、と指摘する。犯してしまった罪や死者への負い目、誰にも聞き届けられない声。作品一つ一つの響く、それらの軋みに耳を澄ますことから始めるしかないのだ、と。(村上陽子・沖縄国際大学講師)

(写図説明)めるくまーる・1944円/すずき・ともゆき 1962年東京都生まれ。法政大教授。著書に「村上春樹と物語の条件」「眼の奧に突き立てられた言葉の銛」など