【熊本県益城町で山城響】熊本地震から半年。観測史上初となる2度の震度7が発生した益城町に13日、入った。地震発生直後に取材で同町に入り、宿泊していた熊本市内で本震に遭遇した当時の恐怖がよみがえる。

益城町役場に近い県道28号の南側は倒壊したままの家屋が目立つ=日午後4時分ごろ、益城町内(山城響撮影)

 町役場近くにある、目抜き通りをふさぐように倒壊していた建物は跡形もなく、きれいな更地になっていた。通り沿いに「売り地」や「貸し地」の立て看板もある。「がんばろう熊本」や「災害復旧支援車両」の横断幕を掲げた大型トラックががれきを積み、ひっきりなしに往来する。屋根瓦の解体が一段落し、休憩する作業員。校舎から子どもたちの笑い声が聞こえ、夕方のスーパーでは女性客が特売品の生鮮食品を品定めする。復興に向けた息吹が伝わる。

 しかし、日常を取り戻したかに見える街並みは、集落内へ入ると一変した。県道28号を境に町木山など南側の集落は「激震」でひしゃげた家屋が手付かずのままで、時間が止まったようだ。屋上をブルーシートで覆った家屋も多い。想像していた以上に解体処理が進んでいない現状に驚いた。

 「余震が怖い」。大宜味村出身で同町馬水に50年近く住む宮城誠さん(71)は、自宅や家族に影響はなかったが、不安感やストレスで神経痛に悩まされているという。

 住まいを失った町民を思うほど「自分だけこれまでと変わらない生活を送っていいものか」と悩んだ半年間だった。近所づきあいもおっくうになりがち。考えるほど「生活しにくい」と、正直な思いを打ち明ける。「みんな苦しい。前を向くしかない」と振り絞った。

 町のアンケートでは約9割の町民が今後も地元に住み続けたいと要望している。4度目の応募で仮設住宅への入居が決まった猿渡敏枝さん(68)は「長かったようで短かった」と、震災から半年を振り返った。避難所生活を共にした仲間が次々と仮設住宅へ移り、20畳の部屋で1人過ごした。「何で私だけ?と泣いていたのも思い出。地元に住めるだけでもありがたい」と、感謝する。

 10月31日の閉所が決定した町総合体育館には、まだ51世帯105人が避難所生活を余儀なくされている。