本紙の記事データベースで「子どもの貧困」を検索すると、今年に入ってからのヒット件数は693件に上る。
 昨年1年間の134件、一昨年の63件と比較すると急激な伸びである。それだけ子どもの貧困が県民の関心を集め、報道の主要テーマとなっているのだ。
 関心を高めるきっかけは、1月に県が発表した子どもの相対的貧困率である。全国平均の2倍近い29・9%は県民に強い衝撃を与えたが、同時に貧困問題に光を当てた。
 県や国は本年度予算で、子どもの貧困対策事業を次々と打ち出している。民間が中心となる子ども食堂や無料学習塾の取り組みも各地に広がる。6月には官民105団体でつくる「沖縄子どもの未来県民会議」も発足した。
 県全体で貧困対策に取り組もうとの動きは歓迎すべきだ。しかし気になることもある。貧困だと言われることを嫌い、支援につながろうとしない当事者たちの存在だ。
 ある会合で「困窮世帯の子だけを対象にした塾をつくるのではなく、行く場所を限定しない支援をお願いしたい」と語った母子家庭の母親の言葉を思い出す。
 就学援助を受けることに後ろめたさを感じ、申請をためらったという声も聞いた。
 行政が旗を振る施策が当事者にどのように映っているのか、常に検証しながら進める必要がある。
 スティグマ(社会的恥辱感)を抱え込ませてしまっているかもしれないという問題に、メディアも向き合わなければならない。
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 NHKニュースで困窮体験を語った女子高生が、「貧困たたき」にさらされたのは最近のことだ。経済的理由で進学を諦めたという暮らしぶりを伝えるニュースに映し出された部屋の様子から「本当に貧困か」の中傷が相次ぎ、本人のツイッターから個人情報を暴露する者まで現れた。
 衣食住が足りない絶対的貧困と違って相対的貧困は見えにくい。見えにくいからこそ支援が大切なのである。
 周りのほとんどができていることが、その子にはできないという相対的貧困への理解があれば、進学の希望を閉ざされた少女の気持ちに寄り添うことはできたはずだ。
 貧困たたきの背景には、日本社会を覆う不寛容な空気がある。人口が減り、経済が低迷し、小さくなったパイを奪い合う中、弱者バッシングが強まっている。生活保護バッシングと根っこは一緒だ。
 支援を遠ざける理由は社会の側にもある。
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 貧困ゆえに「機会の平等」が与えられないという現実は、憲法の理念に反している。それが広がれば、子どもたちの希望は奪われ、社会も活力を失う。
 きょうから新聞週間が始まる。
 スティグマや無理解の問題は私たちの足元に広がっており、その状況を変えるのにメディアが果たす役割は大きいと自覚する。
 社会的に不利益を受けやすい人々の声を丁寧に拾い、その目線に立った報道を息長く続けたい。