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  • 沖縄戦直後、本島北部で発行された新聞「新沖縄」の原紙1枚が発見
  • 行政整備の必要性や慰霊祭など収容地区住民の復興の歩みを伝えた
  • 1945年12月までの発行が新たに判明。その後、米軍が発行停止した

 沖縄戦後、本島北部にあった田井等市で発行され、米軍によって発行停止にされた新聞「新沖縄」の原紙が16日までに見つかった。「沖縄新報」の記者だった故上地一史さん(元沖縄タイムス社長)が1945年夏ごろ、田井等市で発行していた。存在は知られていたが、現物は見つかっていなかった。発見した古美術収集家の翁長良明さんは「戦後の一断面を伝えている」と話している。(編集委員・謝花直美)

「新沖縄」第10号の題字と1面記事(翁長良明さん提供)

 見つかったのは45年12月16日発行の第10号。発行人は上地さん、発行所所在地は田井等市仲尾次。これまで名称は「新沖縄新聞」と知られてきたが、実際の題字は「新沖縄」、上部にThe New Okinawanと英語が表記されている。B4表裏1枚。

 1面トップ記事は「人口分散に即応 田井等機構整備」。45年11月に始まった収容地区住民の元の町村への帰還を機に、田井等市は羽地、名護、本部、今帰仁まで拡大した広域の市になった。これに対応するため、行政や生産など新機構整備の必要を伝えている。

 宜野座地区で開かれた教育者大会、合同慰霊祭を短信で伝え、収容地区の人々が手探りで復興を歩み始める様子を伝えている。

 証言では、上地さんの新聞発行の熱意に仲尾次の米海軍地区隊長がガリ版印刷機や用紙を提供し、45年夏ごろに創刊したとされる。これまで数号発行した後、同年9月に米軍が発行停止したと言われてきた。今回の原紙の発見で、同12月まで10号が発行されていたことが新たに判明した。

 翁長さんは「この1枚からいろいろなことが分かると思う」と話した。