【クリッシー悦子通信員】「沖縄に住んでいるころは興味のなかった三線が今は生きがい」。そう語るのは、うるま市出身で米国シカゴ県人会三線部に所属する米子ケーブルさん(78)。結婚を機に渡米したのは1964年。県人会の存在は知っていたが、当初は活動の場所が自宅から遠く、家事や子育てに時間をとられ参加していなかった。渡米から20年が過ぎ、当時医学生だった娘のジェニファーさんに「私も一緒に参加するから」と勧められたのが始まりという。

シカゴ県人会三線グループのメンバーらと笑顔を見せる米子さん(左)

 94年、沖縄の親戚から譲り受けた三線を持って県人会活動に初めて参加した。安波節の工工四をもらい30分ほど練習、すっかり三線に魅せられた。以後は三線のとりこになった。

 指導者がいないので「分からないところは沖縄の弟やかりゆし会の大城幸信先生らに電話で聞いて」毎日練習に励んだ。当初、県人会では太鼓、琉球舞踊にも参加していたが、「三線に集中したい。県人会の中に三線部をつくりたい」と入会から3年後に部を立ち上げ。自身の三線以外にさらに2本を買い、興味のある人に貸して練習に参加させた。

 現在、シカゴ県人会には「三線」「踊り」「太鼓」のパフォーマンスグループがあり、米子さんは8人でつくる三線部のリーダー。月に2回集まり練習している。隣のミシガン、オハイオなど他州の新年会からも地謡を依頼され、出かけて演奏するまでになった。

 三線歴は20年を超え、県人だけでなく、アメリカ人も含め80人余に教えてきた。「ただ好きで始めた三線だけど、知っている限りのことをできるだけ多くの人に教えたい。アメリカの地で沖縄の文化を広められるのが何よりの喜び」と語った。

シカゴ県人会三線グループのメンバーらと笑顔を見せる米子さん(左)