両手のひらに文庫本を乗せて、ひとたび開いてほんの数ページ読むだけで、あまりにもすごい貘さんの詩に心を撃ち抜かれてしまう。何べん読んでもそうだ。おおらかにして一言一句まで練りあげられたその詩に、ため息をついては、またじっと見入る。

山之口貘詩集(岩波書店・691円)/やまのぐち・ばく 詩人。1903~63年。那覇市生まれ/たから・べん 詩人。49年南城市玉城生まれ

〈鮪の刺身を食いたくなったと/人間みたいなことを女房が言った〉

 これは「鮪に鰯」という詩の冒頭だが、この二行だけでもどれほどのことが読めるだろう。ビキニ環礁での核実験の詩が、原発事故後の詩としても読め、生々しく現実をついてくる。「人間みたいなこと」と言われると、地球上のあらゆる生命を脅かす核、原子力に手を染めた人類は、もう「人間」ではなくなってしまった、と言われているように感じる。確かにこの世界は、2011年3月11日以前とは決定的に変わった。

 食卓に並んだ鰯のことを〈ビキニの灰をかぶっている〉と亭主が言えば、女房は焦げた鰯の頭をこづいて〈火鉢の灰だ〉とつぶやく。面白おかしく日常を描きつつ風刺を効かせる詩に、自分の妻を登場させても、その妻を愚者の位置には決して置かない。むしろ自分自身を愚かで滑稽に書く。貘さんのどの詩でも、女房は辛辣(しんらつ)でこそあれ、亭主である詩人の盲点を鋭く見抜く賢者として登場する。それは貘さんの公平さの表れだと思う。

 家族を書くことは、ごまかしがきかない。外ではいい顔ができても、日常生活の場での人間関係にはその人の価値観や思想、人間性の地が出る。貘さんはその点、自分の弱みをさらしながら人間らしさを問い重ねる高潔な思想を血肉としている。この詩一篇(ぺん)で、そのことが十二分に伝わってくる。

 貘さんの詩は、人生の悲喜を深く掬(すく)いあげて、心にしみ渡る薬のような詩だ。僕は古今東西の詩で、山之口貘の詩がいちばん好きだ。

 「新しい日本語の語感は、貘さんの詩のあたりから」という金子光晴の言葉を紹介するなど、高良勉の愛情深い解説も、貘さんの詩への素敵(すてき)な道案内になっている。(白井明大・詩人)