世界各地に根を張る県系人が、懐かしさと期待に胸を膨らませ、このイベントのために、帰ってきた。26カ国・2地域から、なんと7千人以上も。心から歓迎したい。

 「第6回世界のウチナーンチュ大会」は、きょう26日午後3時15分から那覇・国際通りで開かれる前夜祭パレードを皮切りに、30日まで連日、交流イベントが続く。

 移民県ならではの、5年に1度の心躍る祭典だ。

 県系人は三線やエイサー、ウチナーグチなど郷里沖縄の文化を生活の中に取り入れ、自らを慰め励まし、若い世代に継承してきた。

 「ウチナーンチュ大会」がここまで発展してきたのは、母県と移民の間に沖縄独自の文化が共有され、それが絆の役割を果たしているからである。忘れてならないのは、歴史体験に根ざしたつながりの深さだ。

■    ■

 戦前、疲弊した沖縄経済を支え救済したのは、海外移民からの送金だった。送金額が県予算の約6割に達した年もあったという。

 沖縄戦ですべてを失った沖縄に、救いの手をさしのべたのも、海外移民や本土在住のウチナーンチュであった。

 沖縄戦災救援運動は、ハワイをはじめ米本土や南米にも広がった。ハワイ連合沖縄救済会は、寄付を募ってその金で550頭の種豚を購入し、オレゴン州ポートランドから太平洋を船で渡り、沖縄に豚を届けた。

 県最初の移民がハワイに向け横浜を出航したのは1899年12月のことである。同船は翌年1月、ホノルルに着いた。人口過多、困窮、耕地不足などさまざまな要因が重なり、当時の沖縄県は、活路を外に求めるしかなかった。

 そうやって築かれた沖縄の「移民ネットワーク」が、戦前・戦後の沖縄の窮状を救ったのである。「世界のウチナーンチュ大会」を可能にしているのも、この「移民ネットワーク」があるからだ。

 県交流推進課の推計によると、海外で生活する県系人は約41万5千人。

 沖縄の場合、共同体が独特の「三層構造」をなして存続していることも見逃せない。 恩納村の移民を調査した沖縄国際大学沖縄法政研究所の石川朋子特別研究員は、沖縄の共同体が「ウチナーンチュ(沖縄県民)」「ウンナンチュ(恩納村民)」「シマンチュ(字や区の住民)」の三つの層から成り立っていることを重視する。

■    ■

 今回、多くの市町村が独自の歓迎会を開くのは、移民と出身市町村のつながりが深いからである。

 幼い頃、家族でボリビアに渡った山城茂さん(63)は22日、出身地の金武町で開かれた歓迎式に出席し、思わず目頭を押さえたそうだ。

 「懐かしい金武くとぅばの響きに涙ぐるぐるーした」  沖縄から南米などに訪問する場合も、歓迎会は市町村単位で実施することが多い。

 共同体の「三重構造」が健在だと母県と移民の絆は強くなる。この「三重構造」の中で沖縄の伝統文化が共有され、「沖縄アイデンティティ」が育まれる。

 3、4、5世の中には片言の日本語しか話せない人たちも多いが、ルーツ探しの欲求は根強く、沖縄の文化に触れたいとの思いは強い。

 「第5回世界若者ウチナーンチュ大会」はプレイベントとして20日から23日まで開かれた。

 国内外の若者たちは、ライトアップされた勝連城跡の舞台設定と「肝高の阿麻和利」に感動し、人気バンド「HY」の演奏に興奮した。

 「イチャリバチョーデー(行き会えば兄弟)の意味を実感した」と、アルゼンチン3世の知念和男さん(35)は言う。それが「世界のウチナーンチュ大会」の醍醐味だ。

 一過性のイベントだけでなく、経済や教育などの分野でもどのような協力体制が築けるか、探ってみる必要がある。これまでの成果を踏まえ、大会をさらに進化させていくのである。

 前回大会の前夜祭パレードは今も忘れがたい。

 パレードに参加する人々にそれぞれの国の言葉で「ようこそ沖縄へ」と声をかけてみませんか。