竹富町鳩間島出身の大工富子さん(72)=那覇市=が、古里の言葉を伝えようと冊子『しまくとぅば〈鳩間島〉ぱとぅま むに いじ・あじ・すかい おーら』をまとめた。那覇に移って体得した沖縄本島のしまくとぅばを、これまでボランティアで教えてきた。ぱとぅまむに(鳩間島の言葉)を封印してきたことに気付き、数年前に記録を開始。今夏、34ページにまとめた。「私の中にある鳩間島を鳩間の言葉で表現した」。冊子に島への思いをぎゅっと詰めた。(編集委員・謝花直美)

ぱとぅまむにの冊子をまとめた大工富子さん(左)と鳩間島郷友会の大城弘さん=那覇市、沖縄タイムス社

『しまくとぅば<鳩間島> ぱとぅま むに』

ぱとぅまむにの冊子をまとめた大工富子さん(左)と鳩間島郷友会の大城弘さん=那覇市、沖縄タイムス社 『しまくとぅば<鳩間島> ぱとぅま むに』

 カツオ漁などでにぎわった鳩間島は最盛期で約600人が住んだが、1960年代に過疎にさらされた。大工さんもそのころ那覇へ移った。琉舞に打ち込む中で自然と沖縄本島の言葉を身に付けた。沖縄語普及協議会の講座で磨きをかけ、小学校で教えてきた。

 「島の言葉はどうなっているの」。娘のひと言が、ぱとぅまむにに向き合うきっかけとなった。大工さんは鳩間島での学生時代、「方言札」で言葉を封印された。沖縄本島のしまくとぅばを話しても、ぱとぅまむには自分の中に眠ったままだった。記憶をたぐりよせるようにして記録した。

 鳩間島は、18世紀に黒島から人々が移り住んだ。「ぱとぅまむには黒島、伊原間とは通じるが、その他の八重山地域とは異なる」。小さな島だが、暮らしは豊かな表情と温かなつながりに満ちていた。どの家も約8キロ離れた西表島との間をサバニで往来。田小屋に泊まり掛けで耕した。「父の船のしお汲(く)みを私も手伝いました」。かつてあった島の日常を伝えようと心掛けた。

 「けーんだー(ごめんください)」「をーりば(いらっしゃい)」。人のつながりを伝えるあいさつの項目で冊子は始まる。鳥や野菜の名称、先祖が伝えた「くがにむに」(黄金言葉)、「にんぐとぅ」(年中行事)の言葉を記載した。

 大工さん自身「島の暮らしを思い出すきっかけになった」。もっと話し、使いましょうというぱとぅまむにを、タイトルに。200部作り、沖縄在鳩間郷友会の約100人の会員に配布した。同会の大城弘さん(74)は「9月の敬老会で冊子を手にした先輩たちが喜んでいた。皆思い出しながら、話していた」とほほ笑んだ。