憲法は1946年11月3日に公布され、47年5月3日に施行された。あさっての3日、公布70年を迎える。

 衆議院の憲法審査会は10日から、参議院の憲法審査会は16日から、それぞれ審議を再開する。

 この機会に両審査会に求めたいのは、憲法の制定過程と施行後現在に至るまでの沖縄の経験を、沖縄の人々から直に聞き取り、現地調査を踏まえて沖縄固有の憲法状況を洗い直すことである。

 45年12月に衆院議員選挙法が改正され、米軍占領下の沖縄県民などの選挙権は停止された。46年4月の戦後最初の総選挙は沖縄抜きで実施され、その結果、県民は憲法改正草案(帝国憲法改正案)を審議する国会に代表を送ることができなかった。

 国民主権をうたった憲法は、沖縄代表不在の帝国議会で制定されたのである。

 サンフランシスコ講和条約を批准する51年10月の臨時国会にも沖縄代表はいなかった。沖縄を本土から切り離し、米軍統治にゆだねる決定的な条約の批准であったにもかかわらず、沖縄県民は主権者として国会で意思表示する機会が与えられなかった。

 琉球政府は1965年から5月3日を憲法記念日と定め、法定休日とした。だが、憲法が適用されなかったため、人権も地方自治もしばしば軍事上の制約を受けた。

 沖縄の経験は国民の記憶から急速に失われつつあるが、「憲法番外地」と批判されるような状況は今も続いている。復帰によって問題が解決したわけではない。

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 米軍普天間飛行場の移設返還をめぐる県と政府の集中協議は2015年9月、歴史認識の違いを浮き彫りにしただけで、歩み寄りもなく決裂した。

 翁長雄志知事は、問題の原点が戦後の強制接収にあることを強調したが、菅義偉官房長官は決裂後の記者会見で「賛同できない。戦後は日本全国、悲惨な中で皆が大変苦労して平和な国を築いた」と語った。

 敗戦国の国民が戦後、さまざまな面で苦労を重ねたのは指摘の通りであるが、沖縄と本土では歩んできた戦後が全く異なっており、同列には論じられない。

 沖縄の経験をまるでなかったかのように忘却し、その上で憲法改正を論じるようなことがあってはならない。

 沖縄では憲法体系よりも安保法体系が優位に立つ場面が少なくない。地位協定の存在が今なお、地方自治を制約している。それが現実だ。

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 共同通信社が8~9月に実施した郵送法による世論調査によると、安倍晋三首相の下での改憲に55%が反対し、賛成の42%を上回った。集団的自衛権の行使容認に象徴される安倍政権の「非立憲政治」に対して国民が警戒心を抱いていることが読み取れる。

 憲法審査会は改憲項目の絞り込みに向けた議論を急いではならない。なぜ改憲が必要なのか、改憲する必要がどこにあるのか。また沖縄を置き去りにするのか-国民の中では基本的な議論さえ進んでいない。