「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」。かつて物議を醸した籾井勝人NHK会長の発言だ。報道機関の独立性への理解を欠いているとして、当時一斉に批判を浴びた。だが、いやしくも国の司法を担う裁判所ともなれば、国が右と言っても、それが法と真理に照らして、理がなかったならば、絶対に右と言ってはならない。

辺野古違法確認訴訟の不当判決に抗議し、ガンバロー三唱する集会参加者=9月21日午後、那覇市泉崎・県民広場

 司法の独立、三権分立は民主主義社会の礎であり、それがくずれる時、次にやってくるのは行政権力が突出した独裁社会である。裁判所も議会も独裁権力の追認機能しか果たさなくなる。現にナチス政権下では、裁判所も議会も学者も新聞も、ヒトラーの隷従者となった。もちろん戦時中の日本もそうだった。

 9月16日、福岡高裁那覇支部でいわゆる「辺野古訴訟」(違法確認訴訟)の初の司法判断が下された。判決要旨を読んで、僕は冒頭のNHK会長の言葉を思い出したのだ。こりゃあひどいや。ここまで司法の範囲を逸脱した独断的な文章というのも珍しいのではないか。特筆すべき行政隷従例として、そう遠くない未来に、法律家のたまご向けの教科書にも載るのではないか。「あの時代にはこんな判決文を書いた裁判官がいたのですよ」と。

 判決は、国側の主張をすべて受けいれ、県側の主張をことごとく否定した。判決で特徴的なのは、前知事が行った辺野古の埋め立て申請承認に不合理な点があったかどうかを述べれば済むものを、裁判所がさらに踏み込んで判断を示している点だ。すでに多くの法学者らが批判・疑義を表明している。

 だが、それ以上に僕が強調したいのは、そもそもこの裁判は、法廷の成り立ちからして果たして公正なものだったのかどうかをきちんと検証する必要があるという点である。端的に2点、指摘しておこう。まず、この法廷の最終的な裁判官の構成に至るまでに、不公正を疑われる点はなかったか。裁判官の着任、異動に不自然な点がないか。

 裁判長の多見谷寿郎氏は、国が代執行訴訟を提起したわずか18日前に福岡高裁那覇支部へと異動してきた。それまでは、東京地裁立川支部の部総括判事をわずか1年2カ月という短期間つとめていた。前任者の須田啓之氏はわずか1年しか那覇支部長に在任していなかった。須田氏は、C型肝炎訴訟などで国の責任を厳しく糺(ただ)してきた判歴をもつ人物だった。通常の裁判官の任期が3年といわれるなかでは、これらは異例の慌ただしい異動である。