国内外の県系人らが結集した第6回世界のウチナーンチュ大会のさなか、ある故人の遺影がブラジルから「里帰り」した。幼さが顔に残る制服姿の少年は、71年前の沖縄戦で命を落とした一中鉄血勤皇隊の一人、新川浩造さん=享年17歳。遺影は大会に合わせて来沖した遺族を通じて同級生らの手に渡り、2日、那覇市首里の一中学徒隊資料展示室に展示された。遺族がブラジルに渡って60年余。この間、新川さんの供養を続け、後を託そうと遺族を捜し当てた同級生、山田義邦さん(89)の地道な取り組みが実を結んだ。(社会部・島袋晋作)

新川浩造さんの遺影を設置する山田義邦さん=2日、那覇市首里金城町・一中学徒隊資料展示室

故新川浩造さん

新川浩造さんの遺影を設置する山田義邦さん=2日、那覇市首里金城町・一中学徒隊資料展示室 故新川浩造さん

 新川さんと山田さんは1945年3月、首里高校の前身、旧制県立第一中学校の5年生を卒業してすぐに一中鉄血勤皇隊に配属された。だが戦況の悪化に伴い、南部に撤退した。

 米軍の攻撃が激しさを増した6月下旬、新川さんは目を負傷し、糸満市摩文仁の壕で壁に両手を当てて立っていた。それが山田さんが見た、新川さんの最後の姿だった。

 その後、山田さんは上官の命令で「斬り込み」に駆り出される。「やまだー、やまだー」。その時に自分を呼ぶ新川さんの声が忘れられず、毎月のように近くを訪れ供養を続けている。