第2次世界大戦中のキューバで、フベントゥ島の刑務所に強制収容されていた沖縄県出身者らの名簿が10月31日付本紙で報じられたことを受け、玉栄寛洋さん(66)=沖縄市=と弟の章宏さん(63)=うるま市平安座島=は、キューバに渡った祖父・樽良(たるら)さんが同収容所に入っていたことを初めて知った。2人は「フベントゥ島の収容所に入れられていたことは知らなかった」と驚いている。

祖父母の写真や集めた資料を説明する玉栄寛洋さん(右)と章宏さん=2日、沖縄タイムス中部支社

 樽良さんは1925年、27歳の時にキューバに単身渡り、サトウキビ農園で働いた。当時3歳だった息子の政善さん(寛洋さんたちの父親で2003年に他界)家族は沖縄に残った。樽良さんと政善さん親子は手紙のやりとりを続けていた。

 1960年、樽良さんから「帰ったら平安座の海で漁をしたいので、サバニを準備してほしい」との手紙が届いた。2人は、父が帰国を楽しみにしていた様子をおぼろげに覚えている。

 しかし翌年、小さな白い箱に入った髪の毛と爪だけが届き、樽良さんが病気で亡くなったことを知った。「待ち望んでいただけに、とてもショックだった」と振り返る。

 その後、父は樽良さんのことを話さなくなり、2人が覚えているのはキューバから引き揚げた人たちから聞いた「働き者で、お酒が大好きだった」ということぐらい。今回、強制収容所の名簿に名前を見つけて驚いたという。

 キューバのどこかの収容所にいたという情報は知っていた寛洋さんは「収容所の場所が初めて分かった。亡くなったのも同じ島。帰れない事情があったかもしれない」と話す。

 祖父の位牌(いはい)はキューバに残っていることが分かっているが、遺骨もあるかは分からない。2人は移民110周年を迎える2017年に、キューバへ行くことも考えている。「父は再会できずに無念だったと思う。祖父の遺骨を沖縄に持って帰りたい」と口をそろえた。