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  • 米海兵隊の実弾砲撃演習の本土移転で、元在沖米総領事が証言
  • 海兵隊は前向きだったが、日本政府の消極姿勢で実現が遅れた
  • 「1995年の暴行事件の結果、ようやく実行に移した」とも述べた

 【平安名純代・米国特約記者】米国務省が元外交官らを対象に実施している米外交史口述記録で、アロイシャス・オニール元在沖米総領事が、1990年代に大田昌秀知事(当時)が求めていた米海兵隊による県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について、海兵隊が前向きだったにもかかわらず、日本政府の消極姿勢で実現が遅れたなどと指摘していたことが3日までに分かった。

アロイシャス・オニール氏

 オニール氏は当時、大田知事が求めていた「三事案」の一つである県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について「海兵隊は、すでに訓練を実施していた本州の富士にある大砲射撃場への移転に前向きだった」と回顧。一方で、「東京(日本政府)は単にやりたがらなかった。95年に起きた残酷な事件の結果、ようやく実行に移した」と述べ、実現に大幅な遅れが生じた要因は日本政府の後ろ向きな姿勢にあったとの見解を示した。

 オニール氏は、80年代から90年代に行われた在日米軍基地の返還や整理統合について、「日本国内の政治的圧力」で、東京や横浜、横須賀などで米軍基地の返還や整理統合などが実施される一方、「沖縄でも部分的な米軍基地の整理統合はあったが、規模は同じではなかった」と述べ、日本本土への対応を優先し、沖縄を後回しにする傾向が続いていたなどと証言している。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設については、海兵隊の地上部隊と航空部隊の配置は切り離されるべきではないとし、「沖縄本島中部から北部へ飛んで海兵隊を迎えて北部訓練場まで運ぶ代わりに、(辺野古移設で航空部隊が)地上部隊と訓練場のすぐそばにいることが可能となる。実現すれば改善につながる」と述べ、利便性が向上する同計画は海兵隊側に利点が大きいと強調している。

 オニール氏は、94年から97年まで在沖米総領事を務めた。インタビューは2008年8月、退役外交官らを対象に口述記録を編さんする国務省系研究機関「外交研究育成協会」が実施した。

 日米両政府は95年の暴行事件後、日米安全保障協議委員会(SCC)で、104号越え実弾砲撃訓練の本土演習場への分散移転の検討に合意。96年12月に公表したSACO(日米特別行動委員会)最終報告の中で、97年度中の本土移転を明記。96年8月の日米合同委員会で、移転先を本土の5カ所、訓練は年間35日以内との内容を正式決定した。