【石垣】1903年に大阪であった第5回内国勧業博覧会で、八重山郡登野城村(現石垣市登野城)の玉城加那さん=享年69歳=が水産加工物を出品して受けた褒状(賞状)がこのほど見つかり、ひ孫の玉城世啓さん(63)=市登野城=が4日、八重山博物館(下地傑館長)に寄贈した。当時の糸満町から移住した網元で、同館は「八重山に移住した糸満海人の活動や、水産物製造を知る史料として大変貴重」としている。(八重山支局・新垣玲央)

下地傑館長(左)に、明治時代の第5回内国勧業博覧会褒状を寄贈する玉城世啓さん(同2人目)ら=4日、石垣市立八重山博物館

 世啓さんは昨年7月ごろ、自宅で偶然発見。加那さんの孫、常助さん(86)も褒状の存在を知らなかった。

 出品物は「飛鯣(ひえき)」で、トビイカを原料に作るスルメ。同館の調べでは、当時の博覧会は全国から13万416人、27万6716点の出品があり、加那さんは水産部門で4位に当たる褒状を受賞。同部門には沖縄から371人、401点が出展され、褒状92点、2等賞3点、3等賞22点が選ばれたという。

 同館によると糸満漁業者の八重山への移住は明治初期ごろ。当初は石垣・新川地区の海岸近くに住んでいたが、1897年ごろから登野城地区に移り住み、集落をつくった。

 寄川和彦学芸員は当時の新聞を元に「八重山でのスルメ用イカ漁は、1903年ごろから数人の糸満漁業者が鳩間島近海で行うようになり、翌年には鳩間島の人々も漁法を習得し、イカ漁従事者が出てきた」と説明する。

 水産加工物が作られた記録はあるが、博覧会に出品し、評価された記録は確認できず「地上戦がなかった八重山では古い史料の残存率は高いが、この原物は初めて。八重山の海人文化を知る上でも貴重」とした。

 世啓さんは「曽祖父はサバニを作りながら漁をしていたと聞くが、このように評価されていたとは頭が下がる。こんな先人がいたのだと、今の漁業者の励みにもなれば」と話した。寄贈された褒状は来春の新収蔵品展で展示予定。