近年、保育園不足が社会問題として注目され、国会や地方自治の現場、一般メディアで議論が活発化している。こうした動きに加え、司法の活用も検討すべきではないか。この点で、参考になるドイツの裁判例が現れた。

 ドイツでは、法律によって「十分な数の保育所を確保する義務」が地方政府に課されている。原告は、居住する地方政府が十分な保育所を確保しなかったために復職できず、得られるはずの所得を失ったと主張して、損害賠償を請求した。

 一審は請求を認容したが、州高等裁判所は請求を棄却した。原告の上告を受けた連邦最高裁判所(民刑事分野の最高司法機関)は、10月20日、次のように判示して、原審を破棄し、事件を州高等裁判所に差し戻した。

 「法律は、地元政府の保育所設置義務を、単なる努力義務ではなく、完全に履行すべきものとしており、財政上難しいという理由では、この義務は免除されない」

 「『原告が保育所を利用できない』という事実そのものが、地元政府に過失があったことの一応の証拠になる。これを覆し、無過失だったと言うためには、綿密な計画に基づいて保育所を設置したにもかかわらず、不測の事態が生じたなど、被害が予測不可能であったことが証明されねばならない。州高等裁判所は、過失の有無について、審理し直すべきだ」

 この判決で注目すべきは、地元政府の保育所設置義務を軸に議論が進められていることだ。日本では、保育所不足を指摘された行政は、「全力は尽くしているが、財政上の限界があるのでやむを得ない」と反論する。しかし、本来、義務があるならば、財政難は言い訳にならないはずだ。修理のお金がないからと言って、整備不良の自動車で事故を起こせば、責任を負わなければいけないのと同じだ。

 では、日本では国や地方公共団体に保育所設置義務が認められるだろうか。

 憲法27条は、国民が「勤労する権利」を保障している。これは、単に労働の自由を定めただけでなく、保育の必要などで労働できない状況に置かれた国民が援助を求める権利を保障しているとも解釈できよう。

 また、児童福祉法は、「市町村は」「保護者の労働」「により、その監護すべき乳児、幼児その他の児童について保育を必要とする場合」、「保育所」「において保育しなければならない」と定める(24条1項)。現行法でも保育所等の設置義務があるとの理解は十分可能だ。

 そうすると、日本でも、保育園の整備不足によって勤労の権利が侵害されたことを理由に、所得喪失分の賠償を請求する訴訟は、十分成り立ち得るのではないか。

 こうした議論には「何でも権利だ、裁判だというのはよくない」との批判がつきものだ。しかし、巨大な行政権力に対して個人がいくら権利の実現を求めても、政治はやすやすとは動いてくれない。

 個人の権利を実現するには、行政が義務を十分に果たしているかを裁判所が監視する仕組みも必要だろう。憲法の定める三権分立を実現するには、権利のために声を上げる個人が不可欠だ。(首都大学東京教授、憲法学者)

=第1、第3日曜日に掲載します。