「嘉陽のおじい」こと、名護市辺野古の嘉陽宗義さんが3日、94歳で亡くなった。辺野古に新基地建設計画が浮上したのは1996年11月。翌年1月には、たった1人で手作りの反対ビラを区内で配った。今も続く反対運動の原点だ

▼当時から体調は思わしくなかった。「明日、命があるか分からない」と口癖のように言いながら、命を守る会のプレハブに毎日通っていた

▼戦争中、海軍通信兵として乗った艦船がベトナム近海で空爆され、重傷を負う。左腕と腰に大きな傷痕。戦後は貧しさの中で辺野古の海から生活の糧を得、約50年前には海水でキリスト教の洗礼を受けた。「海は信仰の場所」と訴え続けた理由だ

▼名護市民投票が建設反対で決着しても、反対の名護市長や知事が誕生しても、政府は辺野古に固執し続ける。この20年近く、嘉陽さんは足を引きずり、つえをつき、車いすに乗り、病床でも闘い続けた

▼時に運動が先鋭化しそうになると「死んだら何の目的の平和運動か分からない」「怒ったら負け。笑顔を失った時に私たちは負ける」と諭したこともある

▼98年、初めて訪れた普天間飛行場が見渡せず、木によじ登ろうとして周囲に止められていた。わき起こった笑い。東村高江のヘリパッド建設現場が緊迫する中、嘉陽さんの「笑顔で闘おう」との遺志を胸に刻みたい。(磯野直)