肌を焦がすほどの暑さの中、主催者発表で6万5000人が那覇市奥武山公園競技場を埋めた。今回、殺害された20歳の娘さんは1995年の少女暴行事件の後、沖縄が混沌とした中で生まれたであろう。悲劇の連鎖が止まらない。6月19日の追悼集会に参加した人々は誓いを立てた。「海兵隊撤退」はもはや譲れない一線だ。

米軍普天間飛行場に着陸するF22ラプター=2013年9月24日、宜野湾市大謝名

普天間飛行場に着陸する追加配備されたオスプレイ=2013年8月3日

普天間飛行場の回りには住宅や学校などが建つ2011年6月16日

米軍普天間飛行場に着陸するF22ラプター=2013年9月24日、宜野湾市大謝名 普天間飛行場に着陸する追加配備されたオスプレイ=2013年8月3日 普天間飛行場の回りには住宅や学校などが建つ2011年6月16日

■歴史的出来事

 これは画期的な出来事だろう。沖縄が明確な数値目標を設定したからだ。海兵隊がいなくなれば、普天間飛行場も不要になり、美しい名護市辺野古の海を埋め立てなくてもいい。政府と沖縄県の対立もなくなる。オスプレイも消え、東村高江のヘリパッド建設も不要となる。

 従来は「基地整理縮小」を求めてきたが、その解釈が政治的な立場によって異なるため、要求が明確でなかった。政府は普天間飛行場の辺野古移転を含む嘉手納飛行場以南の返還を「整理縮小」と呼ぶ。それではオスプレイも高江のヘリパット建設も残り、海兵隊員が残るから実質的な負担は変わらないのだ。

 そもそも現状があまりにも不自然なのだ。米陸海空・海兵隊の全軍がこの小さな沖縄に基地を構えている。おそらく世界で最も軍事化された島であり、第二次世界大戦前の植民地主義の残滓とも言える。「米軍占領の島」として世界遺産に登録されてもおかしくないだろう。なにせアジア地域に前方展開している米軍10万人のうち4分の1がこの小さな島に集中配備されているのだから、その負担はあまりにも重い。韓国に駐留する米軍の兵力規模に匹敵する。

 戦後70年余もこの状態を強いられているのだから、沖縄県民が「海兵隊撤退」を望むのはささやかな要求に過ぎないのだ。今回の県民大会に自民党、公明党、おおさか維新の会が参加を見送ったのが残念だった。なかでも自民党沖縄県連は、海兵隊撤退に乗ってこないのだが、その理由はまだ説明されていない。参院選でも大きな争点になるはずであり、ぜひ議論を深めてもらいたい。

■ささやかな要求

 沖縄でなくても海兵隊は任務を遂行する。すでに森本敏元防衛大臣も認めており、モンデール米副大統領も「米政府は沖縄とは言っていない」と語っている。だから海兵隊を沖縄に引き止める理由を探すのは難しい。すでに米軍再編で大幅削減が決まっており、これからの海兵隊撤退論は削減の度合いをもう少しだけ増やすかどうかの調整である。再編後に残る部隊の任務や運用実態を検証すれば分かるはずで、撤退論はさほど高いハードルではなくなっている。

 2020年をメドに実施予定の米軍再編で、在沖海兵隊は司令部機構と小規模な遠征隊だけになる。主戦力はグアムへ移転する。在沖海兵隊はもはや戦う戦力ではなくなるのだ。しかも1年の半分以上を沖縄以外で訓練している。政府や保守系の政治家、学者、メディアなどは尖閣諸島防衛で地理的優位性を引き合いに海兵隊の沖縄駐留が不可欠とするのだが、留守が多い運用実態を知らないのではなかろうか。

 在沖海兵隊の現兵力は1万8000人しかいない。さらに米軍再編後には1万を切ってしまう。ベトナム戦争や湾岸戦争など過去の戦争で米軍は総兵力50万以上を投入し、このうち海兵隊は8万~9万人だった。現在の兵力では戦争を戦うにはまったく足りない。有事には本国から本隊が大挙来援することになっているので、平時における駐留兵力に適正規模の定めなどない。沖縄の海兵隊をばらばらに分散配置しても運用に支障はないことを米軍再編が証明した。

 戦力的にみると、再編後の部隊は人道支援や災害救援を任務とする遠征隊が残ることになる。海軍艦船でアジア太平洋地域を遠征する部隊なので、沖縄を拠点にする必然性は見当たらない。艦船は長崎県佐世保を母港としている。

 沖縄は戦後70年余も日本の防衛、アジア安保のために犠牲を強いられてきた。そろそろ小粒な海兵隊くらいは他所への移転を要求する権利は十分にあるはずだ。それほどささやかな要求なのだ。

 そんな海兵隊撤退論にさえ背を向ける理由はいったい何だろうか。なぜ辺野古埋立に固執するのか実に不思議である。

■政府は海兵隊を知ってる?

 政府にとっては大きな誤算だったに違いない。翁長雄志知事を相手に提訴した代執行訴訟で裁判所は和解勧告を出した。これは実質的な沖縄勝訴だと分析する法律家が少なくない。

 政府の意向としては、裁判所で仲井真弘多前知事が出した辺野古埋立承認を取り消した翁長知事の判断を違法と決めつけたかったはずだ。裁判所のお墨付きを得たうえで、代執行という強権発動に踏み切りたかったはずだ。そして米国との約束でもある辺野古埋立の本体工事に一刻も早く着手したかっただろう。裁判所の和解勧告はそんな政府の目論見を阻んだ格好となった。和解勧告を受け入れた安倍首相が、オバマ大統領にその理由を説明するとき「急がば回れです」と告げたのはいかにも言い訳じみていた。裁判所がオールジャパンで解決策を考えよう、と呼びかけたのも安倍首相には馬耳東風だ。日本のシビリアンリーダーが外国軍の飛行場建設に躍起となり、地元住民の民意を踏みにじり、綺麗な海を埋め立てることに躊躇ない様は異様だ。この国にとって主権とはいったい何だろう。

 辺野古埋め立てが政治目的化してしまっている。海兵隊の駐留は沖縄限定なのか、という根本的な疑問に政治家もメディアも学者たちもほとんど関心を示さない。おそらく知らないのだろう。今回の裁判で沖縄県側が海兵隊の運用実態を争点化させたため、政府側も対抗せざるを得なかったのだが、出てきた準備書面を読む限り、海兵隊の実態に不案内なことがよくわかる。

 海兵隊を運ぶ艦船は長崎県佐世保に配備されているのだから、沖縄に海兵隊を常駐させる必然性はない、と沖縄県は主張した。これに対して政府は、海兵隊は必ずしも艦船と常に一緒に行動しているわけではない、と反論した。尖閣諸島の領有権をめぐり対立する中国を牽制するためにも沖縄の地理的優位性は重要であると主張している。

 政府は海兵隊のことを本当は知らないのではないか、と疑いたくなる。 

 海兵隊は1775年に海軍の下部機関として発足以来、常に海軍艦船で遠征し、勇猛な強襲揚陸部隊という誇りがある。海軍付の地上兵力は陸軍と重複するため、不要論がつきまとい、乗船任務を解かれたことがあった。そのとき海兵隊は港の警備員か鼓笛隊に成り下がったと揶揄された。政治家を動かして遠征任務に復帰することができたという苦い経験もあるのだ。

 昔は海軍の帆船から手漕ぎボートを降ろし、夜陰に乗じて敵前上陸し、弾薬庫や食料庫に火を放つなどの奇襲を得意とした。上陸作戦を仕掛けて敵地の港や飛行場を確保し、後続の陸軍などに戦地を引き継ぐ。橋頭堡を確保することが海兵隊の主任務だった。ただし近代戦においては、空軍の空爆や海軍のミサイル攻撃で敵の戦力を壊滅させた後に陸軍が制圧するため、死傷率が高い敵前上陸は行われない。

 冷戦後、国家間の戦争が発生する可能性が低下したことから、海軍・海兵隊は平時モードに部隊運用を切り替え、小規模遠征隊を艦船で巡洋させ、同盟国や友好国と人道支援、災害救援の共同訓練を恒常的に実施し、テロや災害などで政情不安が起きないような安全保障環境を構築する任務に取り組んでいる。

 海軍艦船が長崎県なのだから、遠征隊は九州で乗船しても任務に差し障りは生じないと主張することは当を得ている。これに対し、「海兵隊は海軍艦船と切り離して運用する」と日本政府は反論しているのだが、その議論にはおそらく、海兵隊もびっくりするはずだ。

■再協議

 代執行訴訟で裁判所は、国と県があらためて話し合い、沖縄だけに答えを迫るのではなく、オールジャパンで解決策を導き出すよう促した。国もそれに同意したはずだが、安倍首相はあろうことか20歳の女性が殺害された事件を話し合う日米首脳会談でもオバマ大統領に「辺野古が唯一」と告げている。新たな解決策を話し合う意思はないようだ。

 裁判とは別に、もう一つ政府の目論見は空を切った。国地方係争委員会は17日、翁長知事の埋立承認取り下げに対する国の是正措置が適法かどうかの判断を示さず、問題解決に向けた政府と県の話し合いを求めた。政府側は翁長知事による「取り下げ」を退けた国の判断は適法との判断を期待していたはずだが、係争委は判断を見送った。このまま強引な手法を見過ごすわけにはいかなかったのか、国と沖縄の協議が不十分だと指摘するにとどめた。

 しかし菅官房長官は会見で、翁長知事が国相手に訴訟を起こすよう促し、あからさまにファイテングポーズをとっている。この威丈高な態度の源はどこにあるのだろうか。地方分権は国と地方が同等であることを前提としているはずだが、沖縄県だけは同等とみなしていないということか。

 沖縄では構造的差別が言われるようになった。政府は辺野古の問題は安保、外交、防衛に関わることであり、国の専権事項なのだから、沖縄側の意見など聞くに値しないといわんばかりの高圧的な態度だ。そのような沖縄への対応は戦後変わっているだろうか。この国を守るという名目で沖縄は「捨て石」にされた。尖閣諸島の領有権問題で安倍政権は中国との和解を探ろうとする雰囲気ではない。仮に尖閣で小さな衝突でも生じたとき、戦場となるのはいったいどこなのか。友好関係を築けない安倍流安保には沖縄にとって災いとなりかねない。本格的な軍事対立がなくても、緊張状態に陥ったとき、発展を遂げている沖縄の観光産業は壊滅する。沖縄は一瞬にして危険地帯と変わり、本土人は沖縄観光を回避するだろう。「9・11」の米同時多発テロのときですら沖縄は孤立した。

■海兵隊と安保

 以前にもタイムスクロスで解説したことを繰り返すが、米軍再編後に残る海兵隊は「ソフトパワー」の役割を重視する。長崎県佐世保配備の船に乗って、アジア太平洋地域で同盟国や友好国と共同訓練を実施し、アジアで安全保障ネットワークを広げている。そこに中国軍も招かれ、ともに人道支援や災害救援の訓練メニューをこなしている事実を果たして日本政府は知っているのだろうか。

 中国側は「米国と中国の協力はアジア太平洋地域の安全保障に貢献している」と自賛している。この事実は日本ではほとんど報じられないため、米軍は日本防衛のために中国を牽制してくれている、とばかり考えている。中国脅威論に引きずられ、憲法改正の議論を始めてしまった日本は実に視野狭窄の中で安全保障の認識を歪めてしまった。

 安倍首相は「近年日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなった」というフレーズを繰り返している。この言葉を振りかざし、憲法解釈を勝手に変更し、集団的自衛権を行使できるようにし、安保関連法を成立させ、そして憲法そのものを変えようとしている。この議論は安保環境が悪化したため、自衛隊を軍隊に変えて米国との軍事協力を強化するという思考回路であるが、安倍流安保は軍事力で国の安全を守ろうとする「国防論」であって、「安全保障」ではない。

 海兵隊は中国軍の兵士とともにフィリピンやタイの山奥で小学校の壊れた屋根を修繕するなどの人道支援活動に取り組んでいる。そうした活動はテロに対する抑止効果を期待するほか、敵対国とみなされている国とも関係改善を図ろうとするものであり、これこそが冷戦後の安全保障である。

 尖閣が中国に狙われるから辺野古の海を埋め立てるべきだ、と奇妙な主張をする人たちもいるが、この発想は安全保障とほど遠い。いたずらに緊張感を煽る危険な火遊びにしか見えない。過去の大戦で惨禍を見た沖縄にとっては実に迷惑な人たちである。尖閣周辺でたった1発の小銃でも沖縄の観光業は消滅し、経済が回らなくなる現実をどう考えているのだろうか。

 そんな悪夢を避けるためにも、本当の安全保障を議論すべきだ。尖閣を軍事だけで守ろうと海兵隊を引き込むのは、米国にとって迷惑な発想だろう。アジア太平洋へ視野を広げて、波穏やかな地域にする努力こそが「安全保障」であり、日本が健全に友好国と付き合っていく唯一の道筋である。

 海兵隊はその重要な任務を帯びてアジアへ展開していることを前提に沖縄基地問題を考える必要がある。安全保障体制(システム)を変えずに、部隊配置(ポスチャー)の変更を検討するのは可能である。その容易さは米軍再編(ディフェンス・ポスチャー・レビュー)で証明済みである。部隊配置が変わっても海兵隊はアジア安保の任務を遂行できる。

 地域住民との対立の中で外国軍基地は十分な運用ができない。沖縄の要求は実にささやかなものであり、しかも日米安保体制(システム)に挑戦するようなものでもない。ただ単に米軍再編で行ったような態勢(ポスチャー)の調整をもう一度検討してくれと求めているに過ぎない。

 この要望を無視して、安倍流安保の観念で海兵隊を日本の国防論に引きずり込むのはあまりにも身勝手であり、責任ある先進国としての採るべき態度ではない。アジア安保を展望する中で、長年の過重負担に苦悩する沖縄のささやかな要求に真摯に向き合うことこそ、民主国家の所作である。

 21世紀的な「解」は必ずある。