「ひきこもり」という言葉をお聞きになったことはあるだろうか?そしてこの言葉からネガティブなイメージを連想される方もいるのではないだろうか。

 「ひきこもり」が大きく社会に認知されるきっかけとして、2000年の「新潟少女監禁事件」や「佐賀バスジャック事件」があり、マスコミでは事件を起こした青年が「ひきこもり」であると報道した。当時私は大阪の民間団体で「ひきこもり」支援の仕事をしていたが、2004年に20年間「ひきこもり」状態にあった青年が、将来への不安を抱き父母を絞殺するという痛ましい事件が起きた。私もマスコミからコメントを求められた際に、「問題は家族が支援機関の情報を知らないことや、適切に相談できる支援窓口が少ないために、青年や家族が孤立している状態が深刻である」とコメントした記憶がある。当時の大阪では、相談機関の情報が整理されていなかったのである。そのため家族が相談に行けずに、家族ごと社会孤立する状態に陥り、この問題が更に深刻化したのではないだろうか。  

実はその状況は今の沖縄でも変わっていないと思っている。社会のイメージとして「ひきこもり」=「理解できない」=「恐い」と言った偏見によって家族ごと孤立して行く。

 またもう一つの偏見として「ひきこもり」=「青年自身や家族の問題」との考え方である。青年は「自分の意思でひきこもっているからそのままでよい」「窓口へ主体的に来ない青年の相談に乗る必要があるのか?」、また家族には「親が甘やかしているからひきこもっているのでは?」「育て方を失敗したからでは?」等の意見がある。そこまで露骨ではなくても、そのような印象を少しでも持ったことがある方はいるのではないだろうか?