【国頭】沖縄戦中から終戦直後、国頭村伊地、半地、桃原の3地区で少なくとも民間人9人がスパイ嫌疑をかけられ、日本兵に虐殺されたことが複数の証言で明らかになった。10月末に新しく発刊された村史に掲載された。地元住民の間でそうした事実があることは知られていたが、具体的な場所や時期、状況が明らかになるのは初めて。

 証言に基づく虐殺の事実は、村史編さん室が村制100周年記念としてまとめた村史「くんじゃん-国頭村近現代のあゆみ」に掲載。委員が2010年から2年間、複数の住民から匿名などを条件に聞き取りした。

 伊地では1945年7月4日、宜名真、辺戸の住民4人が斬り殺された。4人は田井等収容所から解放され、集落へ帰る途中で「紫雲隊の伊沢」ら敗残兵に襲われたとされる。

 桃原では、那覇市泉崎から疎開してきた「高嶺さん一家」3人が日本兵に夜襲され、1人死亡。公会堂近くに寝泊まりしていた一家の元に手りゅう弾のような爆発物が投げ込まれた。

 半地では、読谷村喜名から逃げてきた2、3家族が日本兵にスパイの嫌疑をかけられ「半地ザークビー(座峠)」で斬殺された。村史には「4人か5人、手首を縛られめった斬りにされ、一面に血が飛び散り、目を疑う地獄の惨状」とある。遺体は字浜の共同店近くの浜辺に埋められたという。村編さん室によると桃原と半地の事件が明文化されるのは初めて。宮城克松編さん委員長は「良いことも悪いことも事実を後世に伝えることが私たちの使命」と強調する。

 沖縄国際大学の石原昌家名誉教授は「他地域の虐殺事例と共通する貴重な証言。住民同士の相互監視も含め、悲劇が起きている。特定秘密保護法が施行される今の時代だからこそ、現在につながる問題として受け止めないといけない」と指摘した。

表に出ぬ事実もある

 証言を聞き取りした知花博康さん(81)の話 村史発刊に当たり、どうしても残しておくべき事実だと思い、可能な限り細かく聞き取った。伊地の件は文献からの引用、桃原は複数人から、半地は実名を担保に1人の証言を採用した。勇気をもって語ってくれたことに感謝する。

 こうした事実が語られてこなかったのは、日本兵の手下として使われた地元住民の存在もあったからで「彼らがいる限り話せない」というのが一番の理由だった。今も書くことを許さない、かたくなに拒む人もいる。表に出ていない悲惨な事実もあると思う。

 国頭村には収容能力を超えた人たちが避難民として押し寄せ、食料の奪い合いになった。その中で旧日本兵は日本刀で脅し、食糧を奪った。悲惨な歴史を直視し、不戦のための教材として使われることを願う。