17日に那覇地裁沖縄支部で判決のあった「第2次普天間基地爆音訴訟」は、米軍普天間飛行場のある宜野湾市や近隣の北中城村、浦添市の住民3400人余が同飛行場からの夜間・早朝などの騒音差し止めと損害賠償を国に求めた訴訟です。

 

普天間飛行場の騒音

 普天間飛行場は、市街地のど真ん中に位置し、「世界一危険」といわれています。日米両政府は、1996年に海兵隊の基地である普天間を5~7年以内に全面返還することで合意しながらも、沖縄県内に移設するという条件が大きな壁となって、当初の計画は漂流しています。

 1996年に日米が合意した騒音防止協定(騒音規制措置)では、午後10時~翌午前6時の飛行訓練は、「米国の運用上の所要のために必要と考えられるものに制限される」と定められています。しかし実際には、この時間帯にも頻繁に訓練がなされ、多くの周辺住民が米軍機の爆音による睡眠妨害などを訴えています。

 

 沖縄県によると、滑走路南側の上大謝名公民館では、FA18が飛来した今年10月17日、午後8時6分に114・9デシベル、18日には午後4時57分にことし4月以降では最大となる116・1デシベルの騒音を記録しています。宜野湾市には「心臓が止まりそう」などの苦情が寄せられるなど、協定は守られていません。


第1次訴訟は2002年

 このままでは平穏な暮らしが送れないとして、普天間飛行場の周辺住民200人が2002年10月29日、日本政府と普天間基地司令官(当時)を相手に夜間の飛行差し止めと騒音被害の補償を求め、那覇地裁沖縄支部に提訴しました。これがいわゆる「第1次普天間基地爆音訴訟」です。03年4月、追加提訴で原告は404人に増えました。


 2004年8月13日には、沖縄国際大学にCH53ヘリが墜落し、炎上。乗員1人が重傷、2人が軽傷を負っています。日々の爆音だけでなく墜落事故が起きたことで、住民の不安と不満はますます大きくなっていきました。

 

 那覇地裁沖縄支部は2004年9月16日、訴訟を国と司令官に分けました。司令官の被告適格を認めましたが、原告の請求を棄却しました。原告はあきらめずに控訴しますが、翌2005年9月23日、福岡高裁那覇支部は司令官への控訴を棄却。最高裁も2006年2月28日、上告を棄却しています。

 

 国への一審判決は、2008年6月26日でした。那覇地裁沖縄支部は、国に総額1億4670万円の賠償を命令。しかし、爆音の違法性を認めつつも、日本の主権が及ばない米軍の行為は規制できないとする「第三者行為論」を盾に、飛行差し止め請求を認めませんでした。原告、国の双方が控訴しました。


 福岡高裁那覇支部は2010年7月29日の控訴審判決で、低周波音と精神的被害の因果関係を初めて認めました。国への賠償命令は総額約3億6900万円。しかし、飛行差し止めは認めませんでした。

 原告10人は飛行差し止めを求めて上告しましたが、2011年10月11日に最高裁はこれを棄却。第1次訴訟が終わりました。


第2次普天間基地爆音訴訟

 訴訟は終わりましたが、「静かな日々を取り戻そう」と1次で違法な騒音と認められても改善されない現状が続き、住民3400人余が再び国の責任を問うたのが「第2次普天間基地爆音訴訟」です。原告数は1次訴訟の約8倍に上りました。

 

 住民は騒音コンターW値(うるささ指数)75以上の区域とコンター境界付近に住んでいます。うるささ指数は、航空機の騒音を測る指標で数値が高いほど、騒音の程度がひどく、国の環境基準では、住宅地専用地域はW値70以下、商業・工業地域で75以下と定められています。

 

住民と国の主張ポイント

 住民たちは、静かな日々を取り戻すため、主に次のことを訴えました。
(1)午後7時~翌日午前7時まで、騒音を40デシベル以下に制限
(2)午前7時~午後7時まで、騒音を65デシベル以下に制限
(3)少なくとも月額3万円(過去、将来分)の損害賠償
(4)国が米軍に普天間飛行場の提供を合意していることについての違憲確認


国側は、騒音差し止めについて、国の支配の及ばない米軍機に対する請求のため、住民側の主張自体が「失当」と反論しています。普天間飛行場の提供を合意していることへの違憲確認は、訴訟の対象にならないため、却下が適当だとしています。