映画「沖縄を変えた男」が10月8日の上映開始以来、県内限定にも関わらず約2万人の観客を集め好調だ。夏の甲子園大会で沖縄水産高校を2年連続準優勝に導くなど、沖縄の高校野球界に大きな足跡を残した故・栽弘義監督の生き方を実話を基に劇映画化した作品。現代高校野球の教育論、さらに栽監督の指導論や生き方を興南高校の我喜屋優監督と沖縄水産のエースだった大野倫さんが語り合った。聞き手は映画の原作を手掛けた松永多佳倫さん。

第72回全国高校野球選手権大会で、沖縄水産高校が県勢初の準優勝に輝いた=1990年8月21日

準優勝を喜ぶ沖縄水産高の栽弘義監督=1990年8月21日、兵庫県の宿舎

松永多佳倫(まつなが・たかりん) 1968年、岐阜県大垣市生まれ。ノンフィクション作家。2009年より沖縄在住。著書に「沖縄を変えた男」(集英社文庫)、「善と悪 江夏豊ラストメッセージ」(KADOKAWA)など。

がきや・まさる 1950年、玉城村(現南城市)生まれ。興南学園理事長・校長。68年、夏の甲子園大会に興南高校野球部主将、中堅手として出場し、県勢初のベスト4進出。2007年、興南高野球部監督に就任。10年に史上6校目の甲子園春夏連覇を達成。

おおの・りん 1973年、具志川市(現うるま市)生まれ。九州共立大沖縄事務所長。90、91年の夏の甲子園での沖水高2年連続準優勝時のエース。九州共立大を経て96年に巨人入団。2001年ダイエー(現ソフトバンク)に移籍し02年引退。現在うるま東ボーイズ監督。

第72回全国高校野球選手権大会で、沖縄水産高校が県勢初の準優勝に輝いた=1990年8月21日 準優勝を喜ぶ沖縄水産高の栽弘義監督=1990年8月21日、兵庫県の宿舎 松永多佳倫(まつなが・たかりん) 1968年、岐阜県大垣市生まれ。ノンフィクション作家。2009年より沖縄在住。著書に「沖縄を変えた男」(集英社文庫)、「善と悪 江夏豊ラストメッセージ」(KADOKAWA)など。 がきや・まさる 1950年、玉城村(現南城市)生まれ。興南学園理事長・校長。68年、夏の甲子園大会に興南高校野球部主将、中堅手として出場し、県勢初のベスト4進出。2007年、興南高野球部監督に就任。10年に史上6校目の甲子園春夏連覇を達成。 おおの・りん 1973年、具志川市(現うるま市)生まれ。九州共立大沖縄事務所長。90、91年の夏の甲子園での沖水高2年連続準優勝時のエース。九州共立大を経て96年に巨人入団。2001年ダイエー(現ソフトバンク)に移籍し02年引退。現在うるま東ボーイズ監督。

野球が9割・10割という子どもたち

 松永 高校野球の勝負と教育が二律背反といわれるが。

 我喜屋 最近は即戦力型のチームをつくりたいという狙いがあると思うが、沖縄では育てて強くすることを伝統的にやってきた。大事にしなきゃいけない。そのなかで教育。社会人を視野にいれた教育をしないと、野球を終わったとたんにただの人、それ以下の人になる例をたくさん見てきた。将来に通用することを野球を通して指導する。

 大野 高校野球を指導者としては経験していないが、中学生と接していると、野球が9割・10割という子どもたちが多くて、甲子園もテレビの映像しか見ていないので、過程をカットしてしまって、その以降のことが考えられていない。甲子園に行っても飯は食えないし、僕はプロで失敗している人間なので、辞めてから大変な思いをした。野球だけだと離れたときにスカスカの人間になっちゃうよということは子どもたちに言っている。親御さんも含めて。

 我喜屋 大野さんの下で学んできた子は見ればわかる。「プロ野球で失敗」という言い方する人はほかにいないですよ。自分の過去も踏まえながら、子どもたちに道を教えているのは強い。