評者が糸満で漁撈(ぎょろう)文化について学び始めた頃、はじめて見聞きすることだらけだった。私は大和人だからあたりまえだが、糸満という社会を構成する要素、例えば拝みや門中、墓、行事、といったことは、説明を聞いても、そばで眺めていてもよくわからず、そこに、糸満という社会の奥深さを感じていた。

糸満市教育委員会・2200円/執筆者は金城善、湖城清、伊敷豊、杉本信夫の4氏と市史編集委員会事務局(市教委生涯学習課)

 『糸満市史 資料編13 村落資料~旧糸満町編』は、私にとって謎だった多くのことを、丁寧に説明してくれる。それは、糸満の人たちにとってこれまで自明のことだったかもしれないが、それが書き記されなければならない時期がきたのだろう。

 評者は1度、糸満の門御願(ジョーウガン)に同行したことがある。女性たちが順に巡っていくいくつもの拝みの場がなぜ拝まれているのか、興味を持った。しかし何となく質問しそびれてしまった。拝みをしているおばあさんやおばさんたちがとても真剣で、邪魔をしてはいけないと感じたからだ。

 しかし仮に聞いたところで、はっきりした答えは得られなかった可能性もある。おばあさんたちは、その上の世代の人たちが拝んできた場を拝んでいたのであり、その拝所の来歴は、「しかるべき人が知っているはず」、という感覚だったかもしれない。

 このような、大切なこととして継承されてきたしきたりや慣習は、幾世代もの人たちが同じ行為を積み重ねていくうちに歴史の厚みをもつようになる。その過程で、その行為の由来が忘れられたり、異なる解釈がなされたりすることもあるが、幾世代もの人たちがそれを行ってきた、という実績こそが文化なのである。

 本書を通して、私が強く感じたのは、郷土への愛である。その社会に属する人ならではの視点で詳細に記された文化や歴史は、自らのアイデンティティーを確認しようとする意志に裏打ちされ、迫力がある。

 糸満の人たちが少なからず持っている「我が糸満」という意識。それが形になったのが本書ではないか。郷土史のあるべき姿を見たように思う。(三田牧・神戸学院大学准教授)