学生の頃からギターを担ぎ、世界中の街角やライブバーで歌い続けてきた。沖縄音楽、アメリカのポップス、フォーク、ロックに影響され、傾倒した音楽を融合した曲を作っている。「無国籍な音楽を志向している」と話すが、「ベースには沖縄の音がある。曲や声には沖縄のエレメント(要素)が自然に出てくる。ルーツを実感するよ」。

川崎、鶴見のウチナーンチュの歴史を編修している屋良朝信さん=川崎市の「ワークショップ덀みなと덁」

 現沖縄市出身の両親が太平洋戦争末期に移り住んだ川崎で生まれた。明治以降に沖縄の人が多く定住しており、言葉や芸能を含め、沖縄文化に囲まれて育った。

 父親も家で三線を弾き、民謡を歌った。幼い頃は父の膝上で、歌三線を聴いていた。「その頃に沖縄の音が深く刷り込まれた」と振り返る。

 復帰前から沖縄を何度も訪ねた。楽しみにしていたのは音楽。米兵が街を闊歩(かっぽ)するコザで、ジュークボックスから流れるロックやポップスに夢中になった。洋楽だけでなく沖縄芝居や民謡にも触れ、青年時代に見たルーツの記憶が強烈に残っている。

 海外への興味が高じ、学生時代からヨーロッパや中東、アジアで長旅を続けた。歌いながらの貧乏旅行。どこでも臆せず歌い、異国の人たちも受け入れて聴いてくれた。

 音楽を究めようとも考えたが現実は易しくなく、貿易専門誌出版社や電子部品メーカーで働き生計を立てた。音楽も続けており、今も国内外でのライブや曲作りに励む。

 傍らで熱を入れているのは、川崎や横浜市鶴見区で生きたウチナーンチュの歴史の記録だ。遠い異郷でどう根を張り、文化を受け継いできたか。市井の人のライフヒストリーを通して描く。「移住して100年、よくぞここまできた。独自の視点からこの100年をまとめてみたい」。アイデンティティーへのこだわりが、再び高まっている。(東京報道部・宮城栄作)

 やら・とものぶ 1949年、川崎市生まれ。両親は沖縄出身で、沖縄文化に親しんで育つ。明治大学卒業。学生時代から海外旅行にはまり、訪れた国は20カ国以上。昨年、電子部品メーカーを退職し、編集・出版・音楽ビジネスに携わる「ワークショップ“みなと”」を立ち上げた。