「第6回世界のウチナーンチュ大会」が始まり、空手エイサーなどの演舞を披露したニューヨーク・ヤカラ~ズ団は国立劇場などでハイライトを浴びた。閉会式は花火で終了。ウチナーンチュ大会はさっと過ぎた。

ウチナーンチュ大会、高江訪問を終えて帰宅した庭には、黄金色のモミジの落ち葉が積もりはじめた。띱

 大会の一環として県が学校交流を企画。久しぶりの母校・名護高校に出向いた。「フロンティア科」は早朝講座、7校時までの授業、他クラスより2時間多く授業を受けるクラスだと知った。10年前、沖縄の若者たちは県内志向で意欲がないと耳にしたが、出席した59人の生徒の目つきは輝き、凛(りん)とした姿勢が印象に残った。後輩たちの向学心に脱帽する。

 だが今回の掲載がウチナーンチュ大会にちなんだ自慢話ばかりで、ハッピーエンドで終わらせたらそれは全くの偽善になる。現在の私の心境は正直いって陰陽の繰り返し。裏庭の落ち葉を眺めながら沖縄を考えた。沖縄をたつ前にどうしても自分で見たかった現状と場所があった。

 それは以前から気になっていた東村の「高江」。そこで見た光景にすぐ異様な緊迫感を覚えた。本土からの機動隊、沖縄県警そしてデモ陣の座り込みとマイクで訴えるスピーチの数々。近くの道にも幾台もの青い大型バスに機動隊が待機している。物々しい。一目瞭然だ。マイクを握り、自由は獲得するもので与えられるものではない、と強調した。

 今、あの現実が脳裏に浮かぶ。刺激的な今回の沖縄の記憶と言えば高江の現場だ。現状を実際に把握した時点で、私の反骨精神が炎のように渦巻き始めた。反射的に頭に浮かんだのは405年前に斬首された「謝名親方」。1人だけ最後までNoを貫き、琉球征伐に抵抗した。想像に絶する程の悔しさだったろう。高江の現状も琉球征伐の現代版の一環とも言える。

 沖縄本島の南ではウチナーンチュ大会のお祭り騒ぎ、北部では「ぬちかぎり」で沖縄を守ろうと闘い続けている。那覇から片道100キロ、2時間足らずの距離だ。そんな「ing」の状況に無関心、無頓着でいられる人々。高江が無味乾燥だと感じる人がいれば、それは学習された奴隷根性的な劣等感から生ずる無気力だ。あるいは事なかれ主義、頭隠して尻隠さんの「否認」の例でもあろう。

 海外の県系人たちはどこまで沖縄の現状を把握しているだろうか? 否認より無関心が多いだろう。同じ質問を県民にも聞きたい。1個ずつなら鎖は弱いが、つなげば複数の長蛇になり、強くなって立ち向かえる。現地のウチナーンチュには可能なはずだ。

 高江を思うと夜中3時に目が覚める。機動隊の緊迫な動きが始まると「オキナワ ケンケイ 沖縄県警」と訴え叫ぶの声がする。同胞らの叫び声が焼き付いて離れない。この“琉球魂”は強く揺れ動き、胸中で冷酷な大風に吹かれている。

 基地のさらなる負担加重、耐用年数200年との話にぞっとする。既に政治問題ではない。差別の問題であり人権問題である。国連で定期的に訴えるべきだ。ウチナーンチュよ、「Rise! Get Up Together !(ともに立ち上がろう)」。