沖縄ラーメンブームの火付け役と言える「通堂」。那覇市小禄の本店にその看板を上げて14年が経った。まだ沖縄にラーメン専門店が少なかったその当時、どんな思いで「琉球新麺」と銘打ったお店を開いたのか。創業者である、有限会社オフィスりょう次の代表取締役社長である金城良次氏と、統括マネージャーの中村哲朗氏に、これまでの通堂の歩みと沖縄ラーメン業界の変遷、今後の展望まで語ってもらった。(ライター・ナガハマヒロキ)

 

琉球新麺、誕生

―通堂さんは沖縄ラーメンブームのパイオニアと言える存在だと思っています。ラーメン業界に参入するきっかけは何だったのでしょう。

金城良次社長(以下、金城)「横浜のラーメン博物館と一風堂の川原さんが、沖縄ご当地ラーメンの『琉球新麺』を作ろうというプロジェクトがあって、そこの店主募集ということで応募しました。
横浜のラーメン博物館で、北海道なら『すみれ』さんとか、博多だと『一風堂』さんだとか、全国から東京に来ている修学旅行生がご当地ラーメンの名店に並んでいる様子を見ていたんですよ。沖縄発のラーメンもそういう存在にならないかと気持ちを燃やしていました」

有限会社オフィスりょう次の代表取締役社長である金城良次氏(左)と、統括マネージャーの中村哲朗氏

―開店する当時、沖縄のラーメンシーンを教えてください。

金城「当時、居酒屋に飲みに来ていた本土のお客さまによく『この辺で美味しいラーメン屋さんある?』と聞かれていました。でも向こうはラーメンに関しては舌が肥えてる分、紹介したお店ではそんなに満足はしていなかったみたいに思えましたね。実際に自分でも本土のラーメン店に修行に行くと、やっぱり違うなと実感しました。
また、沖縄に出店して初めの頃は、『沖縄には沖縄そばがあるのに何でラーメンなの?』とよく言われました。でも自分もラーメンが好きだったし、沖縄にまだないからこそやろう!と奮い立ちました。麺の替玉という文化がそれまで沖縄には無かったので、新鮮だったと思います。そういう発見もあったのではないでしょうか」

―沖縄そばとの区別を図りながら、かといってご当地ラーメンとして沖縄らしさを出さないといけない、というあたりではどのような工夫をされましたか?

「やはり沖縄は海なので塩にこだわった、透き通ったスープを出そうと思いました。そして、カツオが効いてコーレーグースが合うような味。これがおんな味。せっかくラーメン博物館に出そうということでワイルドな味をということでおとこ味。スープの開発と麺の相性を確認するために何回も試食したので、それで胃もたれして(笑)本当にあれは辛かったですね。
『沖縄そばでもない、ラーメンでもない、新しいね』と言われた時には、琉球新麺という看板を出している冥利に尽きて嬉しかったですね」

 

─オープン以来これまでレシピの変更は行っているのでしょうか。

中村哲朗統括マネージャー(以下、中村)「変えてますね。大きく変わったのは3~4回。その間に工程が変わるのは数えていないほどあります。時期によって素材の質や供給量も変わるので、その都度よりよい工程で作っています」
金城「『守るためには変わらないといけない』という言葉を一風堂の川原さんから頂いて、それを意識してやっています。スープの素材も、足し算をしたら引き算しないと味がブレてくるんですよ。一概にコクが増すというわけではなく、足しすぎたらキレが無くなるんですよ」

―通堂さんはずっと客足が途切れてないですよね。味の部分以外で意識していることはありますか?

金城「例えば、沖縄で通堂に親しんでいた学生さんが、進学就職で県外に行きますよね。行った先でラーメンの話題になって『沖縄には通堂って店があってね』と言ってもらえるような存在になりたいです。そのイメージはしっかり持ち続けてやっています。実際に、学生の頃から親しんでくれた人が今でも家族や友人を連れて通ってくれるのは本当に嬉しいです」