プロ14年間で積み重ねた1010の奪三振。「松坂世代」として、ソフトバンクやヤクルトで活躍した新垣渚投手(36)が、29日までに現役引退を決意した。190センチの長身から投げ下ろす直球と鋭く曲がる宝刀スライダーを武器に通算172試合に登板し、64勝64敗。沖縄タイムスの取材に新垣は「沖縄県人の誇りを持って希望と夢を与えられるように頑張ってきた。沖縄の皆さんの声援でここまで頑張ることができた」と感謝した。

甲子園のマウンドで投げる沖縄水産高の新垣渚=1998年8月

沖縄水産高の栽弘義監督の指導を受ける新垣渚=1998年、糸満市

ダイエー入りが決まり、後輩の泊メッツの子どもたちに囲まれガッポーズ=2002年11月、那覇市・泊小学校

記者会見でダイエー入りを表明する九州共立大の新垣渚=2002年10月、北九州市

甲子園のマウンドで投げる沖縄水産高の新垣渚=1998年8月 沖縄水産高の栽弘義監督の指導を受ける新垣渚=1998年、糸満市 ダイエー入りが決まり、後輩の泊メッツの子どもたちに囲まれガッポーズ=2002年11月、那覇市・泊小学校 記者会見でダイエー入りを表明する九州共立大の新垣渚=2002年10月、北九州市

 沖縄水産高時代から甲子園に2度出場し、「怪物」と称された横浜高の松坂大輔(現ソフトバンク)と並び称される逸材だった。

 高校3年時にオリックスからドラフト1位指名を受けたが、ダイエー入りを希望して入団を拒否。九州共立大に進み、2002年ドラフト自由枠でダイエーのユニホームに袖を通した。

 2年目の04年からは3年連続の2桁勝利でチームに貢献。04年には177奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。2007年以降は右肩故障などで苦しいシーズンが続き、14年途中にトレードでヤクルトへ移籍。豪腕でならした一方、今年5月には史上3人目となる通算100暴投を記録し話題となった。

 今シーズンで戦力外を通告され、11月に12球団合同トライアウト(入団テスト)を受けたが、オファーはなかった。「最初は『まだまだできる、頑張れる。プロ野球選手を続けたい』と思う気持ちがあった」と新垣。引き際を考えた末の決断を強調し、「まだまだ第2の人生が待っている。これからも野球界の発展のために尽くしたい」と意欲を新たにした。

 新垣渚投手の話 このたび、14年間のプロ野球生活でユニホームを脱ぐことに決めました。最初はまだまだできる、頑張れると、今月まではプロ野球選手を続けたいとの気持ちがありましたが、各球団から連絡が来ず、引き際も考えると今日なのかなと思い発表しました。沖縄県人として誇りを持って希望と勇気を与えられればと思って頑張りました。まだまだこれから第2の人生が待っています。これからも野球界の発展のため人事を尽くし、また沖縄の方々に引き続き夢を与えられるよう精進して参ります。本当に沖縄の皆さんの声援でここまで頑張ることができました。ありがとうございました。