日米特別行動委員会(SACO)の最終報告から2日で、20年になった。22日には沖縄県米軍北部訓練場で建設している四つのヘリパッドが完成し、3987ヘクタールが返還される。最大の懸案だった普天間間飛行場は、名護市辺野古への移設を巡り国と沖縄県が法廷闘争中。沖縄県内では新型輸送機オスプレイが飛来するなど基地機能が強化されている。

1996年12月2日、外務省で日米特別行動委員会(SACO)最終報告などを了承し、握手する(左から)モンデール駐日米大使、ペリー米国防長官、池田行彦外相、久間章生防衛庁長官(肩書はいずれも当時)

全国と沖縄県の米軍専用施設面積

1996年12月2日、外務省で日米特別行動委員会(SACO)最終報告などを了承し、握手する(左から)モンデール駐日米大使、ペリー米国防長官、池田行彦外相、久間章生防衛庁長官(肩書はいずれも当時) 全国と沖縄県の米軍専用施設面積

 返還が盛り込まれた施設・区域のうち全面返還は読谷補助飛行場など4施設で、大部分返還は瀬名波通信施設の1施設、一部返還はキャンプ桑江など3施設。普天間飛行場と牧港補給地区の土地計7ヘクタールは2017年度中の返還を目指すことで日米両政府が合意。15年に約51ヘクタールが返還された西普天間住宅地区の利便性向上のため、キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドーの一部を日米で共同使用する。

■嘉手納以南めど立たず

 1972年の沖縄返還後、日本政府は県内の83施設を在日米軍施設・区域として提供した。県民生活に影響を及ぼし振興に制約となっているとして、西銘順治元知事は2度訪米し、普天間飛行場など7施設・区域の返還リストを提出。県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)は13施設20事案の返還を求めた。

 日米両政府は、90年に日米合同委員会で知事要望の3事案と、日米安全保障協議委員会(安保協)で了承された整理統合計画のうち未実施の9事案、軍転協の8事案、米側が返還可能とした3事案を加え、いわゆる23事案(17施設・約千ヘクタール)について返還に向けた手続きを進めることで合意。そのうち、96年3月までに12事案が返還された。

 日米両政府は、23事案から引き続き検討とされ沖縄から返還要望の強かった普天間飛行場と那覇港湾施設が、96年に代替施設の完成後返還するなどの条件をつけることで合意しSACOに全面返還を含んだ。

 米軍再編では辺野古移設と嘉手納より南の基地返還がパッケージとされたが、2012年の民主党政権で見直された。13年には統合計画で大まかな返還時期が示されたが「22年度またはその後」とされた普天間をはじめ見通しは立っていない。

【解説】「日米同盟強化」が進んだ20年

 SACO最終報告は、米軍普天間飛行場など11施設の返還が明記され「負担軽減」が強調された。実態は県内移設が条件でスムーズな返還とはいかなかった。新型輸送機オスプレイの運用など機能強化も明らかになり、もう一つの側面だった「日米同盟の強化」が進んだ20年だった。

 最終報告に示された返還総面積5002ヘクタールのうち、米軍北部訓練場の3987ヘクタールは約8割を占める。返還条件のヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、上陸訓練を実施する。辺野古も全長271・8メートルで大型艦船の接岸できる「係船機能付き護岸」や「弾薬搭載エリア」など、普天間飛行場にはない新たな機能を加える。

 米兵暴行事件や大田昌秀元知事による代理署名拒否、県民大会などを受け、日米両政府は基地の整理・統合・縮小と日米地位協定の運用改善をせざるを得なくなった。県道104号越え実弾砲兵射撃訓練は県外で実施。「移駐完了」後も普天間に再飛来する空中給油機は岩国飛行場へ移った。

 計画全てが実施されても、在日米軍専用施設・区域の約7割が残る。沖縄に集中する構図は変わらず、当時からの願いである「国民全体での負担」にはほど遠い。(東京報道部・上地一姫)

 【SACO合意とは】 1995年に沖縄で起きた暴行事件を機に、日米両政府が沖縄に関する特別行動委員会(SACO)を設置。96年12月の最終報告には、「請求に対する支払い」など日米地位協定の運用改善が盛り込まれた。