「おかしい。ヘリが2、3機、海面をライトで照らして飛んでいる。訓練ではないかもしれない」

リーフ上にある大破したオスプレイ=14日午前2時10分ごろ、名護市安部(伊集竜太郎撮影)

オスプレイ墜落地点

リーフ上にある大破したオスプレイ=14日午前2時10分ごろ、名護市安部(伊集竜太郎撮影) オスプレイ墜落地点

 13日午後10時すぎ。「ヘリが集落を旋回している」という名護市安部(あぶ)区民の連絡を受けて同区に向かった同僚の西江千尋記者から、一報が入った。宜野座村での夜間訓練の取材を終えたばかりだったが、同じ違和感を覚え、安部に向かった。

 同11時35分。本社から「沖縄本島東海岸にオスプレイが着水したようだ」との連絡。その後「津堅島沖」「浜比嘉島沖」などと携帯メールが鳴り続け、情報は錯綜(さくそう)。現場がどこなのか、雲をつかむような話だった。

 14日午前0時すぎ、安部集落のすぐ脇の海岸に着いた。月明かりの下、海岸北側に広がる岩場がぼんやりと見えた。干潮で滑る岩場や水たまりを進むと、岩ではない影が一つ。「まさか」。黒い影に夢中でシャッターを切り、画像モニターを見た。身震いと怒りが一気に込み上げた。墜落したオスプレイの残骸(ざんがい)だった。

 記者は私一人だけ。海面には数個の明かりが見えて、米兵の捜索だと想像できた。とっさに2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落での米軍によるメディア規制が頭をよぎる。「撮影を知られたら、メモリーカードをよこせと言われるかもしれない」

 0時45分ごろ、本社から「写真を送れ」との指示が届くが、携帯もパソコンも電波がつながらない。いったんその場を離れ、端末の光で米兵に気付かれてはいけないと、岩場に隠れて写真を何枚も送信した。

 捜索で飛んできた米軍ヘリのライトに照らされ、思わず岩場に身を隠しながら、さらに近寄った。海に入り午前2時40分ごろまで撮影を続けていると、報道陣も集まっていた。海上保安庁と県警、米兵ら約20人が到着。「ここから下がって」と取材規制が始まった。

 報道陣はひとまず下がったが、私は「規制の根拠は何か」「米軍の指示での規制なのか」と問いただした。目の前の警察官は「本部に聞いて」とだけ。そばの米兵に、拙い英語で「ここは沖縄だ。基地じゃない。なぜだ」と聞いても何も答えない。

 潮が満ちてくる中、報道陣と警察との押し問答が続く。「飛行機に毒物があるかもしれないから」と話す警察官もいた。規制に従わない報道陣に、米兵はあきれているようにも見えた。

 集落の国道一帯と、海岸に向かう路地も警察が一時規制。現場には、東村高江で警備に当たる県外も含めた100人を超える機動隊が入り、一時騒然となった。

 「起きるべくして起きた」と、米軍ヘリの訓練で騒音被害を受ける人たちは異口同音に語る。危険性を肌で感じるからこそだ。一夜明け、米軍は決まり文句のように「安全が確認されるまでの一時飛行停止」を発表した。裏を返せば、墜落当事者の米軍が「安全」と判断すれば飛行を再開するということだ。

 在沖米軍トップは「県民や住宅に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」とも言った。県民意識とのあまりの乖離(かいり)に頭に血が上り、悔しくて涙が出た。(北部報道部・伊集竜太郎)