沖縄市越来の平良須賀子さん(59)は15年前から、市越来幼稚園で子どもたちにしまくとぅばを教える。琉舞研究所を主宰し、獅子舞など子どもたちの地域の芸能活動も支援。「黄金(くがに)言葉であるしまくとぅばを伝えたい」と願い、琉球文化の源流であるしまくとぅばの継承に力を尽くしてきた。2年前、突然脳出血で倒れ活動を中断。リハビリを続け活動再開したが、今秋、夫の盛奬さん=享年69=に突然先立たれた。絶望にとらわれたが「私が頑張ることを、夫も応援してくれる」と、前へ進む。(中部報道部・比嘉太一)

童歌を歌いながらしまくとぅばを披露する園児たち=9日、沖縄市越来幼稚園

園児にしまくとぅばを教える平良須賀子さん。「しまくとぅばを教えることが私の使命」と語る=日、沖縄市越来

童歌を歌いながらしまくとぅばを披露する園児たち=9日、沖縄市越来幼稚園 園児にしまくとぅばを教える平良須賀子さん。「しまくとぅばを教えることが私の使命」と語る=日、沖縄市越来

 「なまから、うちなーのわらびうた、あそびうた、ふぁむやーうた、かじかじうみかきやびら(今から沖縄の童歌、遊び歌、子守歌をお目にかけましょう)」。部屋中に園児のあいさつが響き渡る。

 平良さんは園児たちと向かい合い、約1時間、しまくとぅばを教える。「『ながにんかい、うぁそんるあかんぐゎー、いっぺい、いいあんべー、にんとぅびーん』の意味は?」。平良さんが問いかけると園児たちは復唱し、「背中におぶっている赤ちゃんが気持ちよく、寝ています」と答える。

 「自分自身も祖父から会話の中でしまくとぅばを教えられ自然と話せるようになった」と会話で教える重要性を語る。

 約15年前、保育園での読み聞かせがきっかけとなって、しまくとぅばを教え始めた。教えるのは4月から8月までの5カ月間、毎週1回約1時間。童歌、手遊び、昔遊びなど通して、楽しくしまくとぅばの世界を体感させる。しだいに幼稚園でも教えるようになった。

 しまくとぅばへの思いは、琉球芸能を通して強まった。

 平良さんは、3歳のころから琉舞を始めた。20代のころ、故宮城美能留さんの指導を受け、世界26カ国のツアーに参加した。

 旧ソビエトで、琉球芸能を披露した後、観客から鳴りやまぬ拍手とアンコールがわき起こった。「世界で通用する沖縄の文化を次世代に伝えたい」と心に誓った。

 24歳で琉舞研究所を開設。地元越来の獅子舞を子どもたちに継承しようと「越来シーサーキッズ」を立ち上げた。子どもたちの育成にも力を入れ、市の教育委員長や地元小・中の評議委員を務めた。

 分刻みの多忙な生活を送っていた2014年。脳出血で突然倒れた。57歳。右半身が動かなくなり、言葉が出なくなった。

 全ての活動を中断せざるを得なかった。「絶望にとらわれた。もう二度と教えることはできない」と落ち込んだ。

 そんな時、しまくとぅばを教えていた幼稚園の教諭が見舞いに来て「早く元気になってしまくとぅばを教えてほしい」と懇願された。

 言葉に背を押されるように平良さんは、沖縄の昔話の絵本を使ってリハビリを始めた。大きな声で音読し、発声する訓練を一人で続けた。

 最初は1冊読み終えるのに半日。半年後にはリハビリを温かく見守ってくれた夫盛奬さんと日常会話が不自由なくできるまでに回復。今年、幼稚園を訪ねると子どもたちが目を輝かせて待っていた。「もう一度、教えられる」と心の底から喜んだ。

 しかし、盛奬さんが9月に亡くなった。「自分が倒れた時に一番励ましてくれたのは夫だった」と話す。

 「亡くなった夫も応援していてくれている。だから落ち込んでいられない。病気なんか負けていられない」と前向きになろうと頑張る。

 「沖縄にとって大切な黄金言葉」と平良さん。「しまくとぅばは沖縄の人の生活そのもの。これからも次世代にしっかりと伝えていくことが私の使命」と力を込めた。