“ド派手“成人式は那覇の合同式が影響か

 1992年、那覇市が4カ所(首里・那覇・真和志・小禄)に分けていた式の一括開催を始めた。このころから、那覇市では成人が鏡開き用の酒だるを会場周辺に持ち込んだり、一気飲みを始めたりなど、出身中ごとにパフォーマンスを競うようになった。中学校の後輩が泊まり込みで場所取りをし、酒の購入費を後輩にカンパさせる学校もあった。紙面に問題視する論調は見当たらず、“恒例行事”として続いていったと推測される。
 鏡開きに関しては、1989年に那覇市の中学校の体育館で開かれた懇親会で市長が新成人に酒を振る舞っている記事からも、慣例化していたことが確認できる。
 
 ド派手成人式を新聞が初めて取り上げたのは2000年。「自分たち流成人式」の見出しで、「成人式には参加せず、会場の外で記念撮影や鏡開きをして祝う」と書いた。大型バスやリムジンをレンタルし、中学別に緑や白、ピンクのおそろいの貸衣装で式場に入る様子を紹介している。成人の日は、同窓生で盛り上がる場へと変わった。
 
 

逮捕者も出た那覇市の成人式でガラスが割られた車=2002年

 2001年、式典会場だった那覇市民体育館の門が壊され、式典開催の是非が議論されるようになる。この年は沖縄だけでなく、全国的にも「荒れる成人式」が問題になった。
 2002年、那覇市教育委員会が混乱を想定し、機動隊170人を動員。会場への酒の持ち込みをめぐって会場は大混乱となり、7人が逮捕された。
 

お揃いの紋付き袴で国際通りを練り歩く=2003年01月12日

 結果、2003年、私が成人を迎えたこの年に那覇市が主催する成人式はなくなり、学校の自主性に任せられることになった。母校の中学校の体育館で創作ダンスや校歌斉唱したり、ギター演奏をして成人を祝った学校もあった。
 国際通りで出身中学校の旗を掲げながら練り歩いたり、歩道で鏡開きをしたり、シートベルトをせずに車を運転したりして、検挙された事案が新聞に初めて掲載された。地元から、より目立つ場所へと移動する流れが生まれ、成人式の日に国際通りを派手な服装で練り歩く行為が現在まで続いている。

派手な成人式を迎えるために

 建設現場で働いていた男性(24)は、成人式に向けて17歳の時から、仲間15人と毎月1万円ずつを積み立てたという。街をパレードするために車を4台用意。1台は購入し、残り3台はレンタカー。先輩も借りていた貸衣装の店ではかまを借りた。
 「18歳のころから先輩の成人式の手伝いをしている。派手な成人式をするのはしきたりだと思う」と説明する。
 地元の学校周辺を出発し、会場に向かう。もちろん鏡開きもやった。
 「成人式は一つの区切り。20歳を超えて騒ぐのは恥ずかしいから、この日が最後。だから派手にやる」と振り返った。
 

袋を片手に国際通りのごみを拾う石嶺中学出身の新成人ら=2016年1月10日、那覇市・国際通り

 大人たちがまゆをひそめる行動がクローズアップされた一方、2013年には、「新成人のイメージを良くしたい」と、派手なはかま姿で、周りの成人たちがまいた紙吹雪などを掃除する若者も登場し、ただ騒ぐ成人式の形から、徐々に変わろうとしている動きもある。