【連載「働く」を考える】

 正月3日。宮城正樹さん(37)は自宅近くの公園で、子どもたちと凧(たこ)揚げをして過ごした。家族水入らずの正月休みは2年ぶり。「パーパー」と甘えてくる子どもたちのために、絡まった凧の糸をほどいてやる。夏に1度会ったきりだった生後8カ月の末娘を抱く手がどこかぎこちない。

子どもたちと凧揚げする宮城正樹さん。家族と過ごす正月休みは2年ぶり。「子どもたちが大きくなるのは早いなと思う」

 宮城さんは、三重県にある自動車部品の製造工場で期間工、いわゆる「キセツ」として働く。この13年間、沖縄と本土を行ったり来たりする生活を続けている。

 子どもは高校2年生を筆頭に8人いる。最初に県外に働きに出たのは、中1の長男がまだ妻の優子さん(38)のおなかにいるときだった。

 家族と離れて期間工を続けるのはひとえに生活費のためだ。「子どもがかわいい時期にそばに居られないのは寂しいけどね。自分が向こうで働いているから、子どもたちにおやつのある生活をさせられる」

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 工場の月給は手取りで28万~33万円。寮の家賃7千円や食費、小遣いを含めた宮城さんの生活費を引いても、22万~27万円が残り、それが家族の生活費になる。

 給与のほか、ボーナスが年2回、計100万円出るのも大きい。

 「沖縄で働いていたときと収入が1年で200万円以上違う。200万円といったら、沖縄の人の年収でしょ」

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 宮城さんは沖縄で、内装工として働いていた。日給制で、月収にすると15万~18万円、ボーナスが盆と正月に3万~5万円ずつ。現場によって午後9時ごろまで残業することはざらだったが、残業代が出たことはなかった。昇給はなく、3人でこなす現場を1人でやっても給料は変わらなかった。

 社員6人の有限会社だった。受注数は多かったが、売り上げがどのくらいなのか、給与がどう決められているのか分からなかった。会社は本土企業と業務提携してから経営がおかしくなっていった。

 期間工の仕事は日給が上がり、残業代もつく。宮城さんはお金をためるために、できる限り残業している。きつくても、給料明細を見ると疲れが吹き飛ぶ。

 「沖縄では給料が安く、がんばっても上がらなかった。今は働いた分、収入が入る。だから、皆、キセツに行くんじゃないですかね」