2017年(平成29年) 11月20日

銀髪の時代 「老い」を生きる

「母ちゃんがいない」 恐れていたことが現実に… 【銀髪の時代】

【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

コルク板に貼られた数々のメモは、安慶名静枝さんの目撃情報だ。長男の達也さんは母愛用のかばんや服と共に、帰りを待ちわびている=沖縄市の静枝さん宅

 「兄貴、母ちゃんがいない。でーじなとーん(大変なことになった)」

 電話口で響く弟(40)の声に、体が凍り付いた。2011年5月26日の夕暮れ時のことだ。

 理事長を務めるNPO法人の子どもたちに野球を教えていた安慶名達也さん(48)は、その場を他のスタッフに任せ、大急ぎで沖縄市の実家へと車を走らせた。

 泡瀬干潟に近く、ほのかに潮の香りが漂う住宅街。すぐに弟と周辺を約2時間捜し回ったが、母静枝さん=当時(66)=の気配はない。「恐れていたことが現実になってしまった」。痛恨の思いが駆け巡った。

 そのころ、実家は弟と祖母の我如古アキさん(91)、静枝さんの3人暮らし。アキさんと静枝さんはともに認知症で、要介護度はアキさんが1、静枝さんが3だった。

 休日などを除いてデイサービスや介護ヘルパーを利用していたが、訪問のない日や会社勤めの弟の帰りが遅くなると、認知症の母娘を二人きりにする「空白の時間」が生まれていた。

 足腰が丈夫だった静枝さんはよく1人で散歩に出掛け、自力で帰宅する日もあれば、しばしば道に迷い、通り掛かった人や警察官の世話になった。

 「近くの小学校前で、子どもたちに手を振るのがおふくろの楽しみだったから、きっとあの日も」。達也さんの胸に、笑顔の母がよみがえる。

 静枝さんが戻らず夜が更けていく中、兄弟は巡回中のパトカーに助けを求めると、さらに詳しい状況説明のため沖縄署へ向かった。達也さんは調書作成に要した2時間ほどの間、「自分たちも早く捜したくて、1分1秒も惜しいのに」と行き場のないいら立ちと焦りを募らせる半面、自責の念にもかられていた。「元はと言えば、自分のわがままが招いたことだ」

 以前から、在宅での多重介護と仕事の両立に限界を感じていた弟に「せめて症状の重い母ちゃんを介護施設に預けよう」と提案されていたが、決断できずにいた。当時はどんなに仕事が長引いても必ず実家へ立ち寄り、静枝さんやアキさんの寝顔を確認するのが達也さんの日課。「一日でも長く家族一緒にいたい」と願っていた。

 “事件”は弟の説得を受け入れ、施設入所の手続きを始めようとした矢先に起きた。「もっと深くおふくろの病気を理解していれば、僕さえ意地を張らなければ…」

 静枝さんがいない冬は、もう6回目を数える。同じような年頃、背格好の女性を見るたび「どうか、生きていて」と心がうずく。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)

<ご意見・情報をお寄せください>oi@okinawatimes.co.jp 社会部FAX098(860)3483

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