【連載「働く」を考える】

 県内のIT関連のコールセンターで派遣社員として働く真栄城健一さん(44)は、休みの日にハローワークに通う。正社員の職を求めて3年以上になる。

ハローワークに向かう真栄城さん。玄関には「正社員求人を求めています」ののぼりが立っていた=那覇市内

 コールセンターでは、休憩を含めて10時間、客からの問い合わせやクレームの処理に当たる。長時間座り続け、立ち上がった瞬間、目まいがして倒れたこともあった。「やりたい仕事ではないけど、できることだからやっている」

 県内の工業高校を卒業後、東京の大手電子会社で正社員として働いた。残業が月180時間に達したこともあったが、得意の機器の仕事ができる喜びがあり、月給も手取り40~60万円あった。プロジェクトリーダーを任されたこともあり、「過酷だったけどやりがいがあった」と振り返る。

 30歳の頃、高齢の親の要望に応え、会社を辞めて沖縄に帰った。沖縄だと収入が減る不安はあったが、苦渋の決断だった。

 沖縄に帰ってすぐ、パソコンの設定や修理などを手掛ける会社に正社員として入った。社員は4人。労働時間は東京と変わらなかったが、月給は手取り15万円に減り、ボーナスもなかった。タイムカードや年休、社会保険など本来あるべきものも整っていなかった。

 5年ほどたったころ、給与の一部未払いが生じるようになった。ある月は10万円だけ渡された。社長は「取引先から代金を回収できなかった。来月ちゃんと払うから」と説明したが、払われることはなかった。

 「いくら何でもこれでは生活できない」と退職を申し出ても、技術のある真栄城さんがいなければ会社は回らず、社長は「待ってくれ」と何度も引き留めた。

 生活のため貯金を200万円ほど切り崩した。他の社員は辞め、最終的には社長と真栄城さんだけになった。未払い分を払う約束は守られず、10年間で150万円に膨れ上がった。真栄城さんも会社を去った。

 それ以降、契約社員や派遣社員で職をつなぐ。正社員募集で見つけた会社に入社するとすぐに別の会社に派遣社員として送られ、手取りはわずか10万円。「毎日のように安い牛丼を食べていると、この年でこれか…ときつかった」

 機器関連の正社員になりたいが、募集そのものがない。「東京で積んだ経験を生かす場所が沖縄にはない」と真栄城さんは言う。安定した生活が送れるようになったら結婚もしたいが、「今は収入面の不安があって考えられない」。

 真栄城さんは「前は当たり前だった正社員が今は高根の花になっている。非正規でどんどん安く雇ったら、みんなどうやって暮らしていくの? 部品じゃないんだから」。(文中仮名)(学芸部・榮門琴音)

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