【名護】日本復帰前に、保険会社から名護市消防本部に寄贈された車両「火災保険号」が現存している。当時30代で、消防本部職員だった眞嘉比朝政さん(79)が、自身が運営する民俗資料博物館に設置している。車はオフロードの四輪駆動車でポンプ吸い上げ式。「池などからホースで吸い上げた。消防職員が運転し、車両の後ろに消防団員がつかまって行くタイプだった」と振り返る。

消防本部や各地区消防団と過ごした「火災保険号」と眞嘉比朝政さん=名護市山田・民俗資料博物館

 旧名護町時代から消防士だった眞嘉比さん。1970年に同町が久志、屋部、羽地、屋我地と合併し、名護市が誕生すると市消防本部が発足した。

 2年後の復帰を前に、保険会社から寄贈されたのが新車の「火災保険号」。左ハンドルだった。「復帰までまだ2年あったので、左ハンドルで十分だった」と話す。

 「車体のみの贈呈だったので、サイレンやポンプなどを取り付けた。オプションの予算は別だったので、他の自治体は要望しなかった」と懐かしむ。

 復帰を境に、市内には5階建てのビルが建ち始めた。同本部に25メートルのはしご車が導入されると、火災保険号は本部から久志地区、屋部地区など4地区の消防分団を転々と「異動」し、2000年7月の沖縄サミットが終わったのを機に廃車処分となった。消防本部に保存されていた車体を、眞嘉比さんが引き取った。

 「バッテリーで動かない時は、ボンネット下のハンドルを回してエンジンをかけることができた。今、動かすには修理が必要。私のファイヤーマン人生の相棒だったから、私の民俗資料博物館の入り口で目立つように休ませている」と目を細めた。(玉城学通信員)