依存症という言葉を聞いて思い浮かぶのは、アルコール依存、薬物依存など精神科関連の病気ではないでしょうか。いいイメージはなく、意思が弱く、現実を受け止められずに逃避する人という印象があるかもしれません。はたして依存症というものは、社会生活に適応している人々とは無縁のものでしょうか?

 個人的な考えではありますが、人は多かれ少なかれ何かに依存して生活の支えにしていると思います。それは肉親や恋人からの愛情、宗教、仕事することによる存在意義の確認、社会貢献、といったものもそうだと思います。依存という言葉が不快に感じるならば、自分の居場所探しと言い換えてもいいでしょう。

 昼夜問わず仕事する事は、真面目で立派な人だと評価されることはあっても、非難されることはないと思います。しかし昼も夜もお酒を飲み続ける人は誰も尊敬しないでしょう。ですが本当に「アルコール依存」等の物質依存と「ワーカホリック(仕事中毒)」などの行動依存との間に、天と地ほどの開きがあるのでしょうか?

 では病気として扱われる依存とは何でしょうか? 代表的なアルコール依存症は、精神科医療において「お酒をたくさん飲む人や毎日飲む人」が依存症と診断されるわけではありません。アルコール問題で医療に関わるのは、飲酒のコントロールができずに社会生活に支障をきたし、対人関係のトラブルをおこすことで、本人もしくは周囲が悩むときです。

 アルコールに限らず、特定なものに極端に依存する行動は、本人にとって安心できる居場所であったり、現実逃避であったりする場合が多いのです。そして根本的な原因に対人関係の困難さがあると思います。

 対人関係で一番難しいのは、自分の心の不満や怒りを相手に伝える作業なのですが、自分に自信がなく、嫌われたくない気持ちが強いとうまく言葉で表現できません。

 人間関係の悪化を恐れ、我慢したり、忘れようとしたりします。しかし人の心は、そう簡単に解決できない構造になっているため、違うかたち(依存)で発散しようとするのです。

 アルコール依存症の患者さんに飲酒を我慢させることが根本的な治療ではなく、心の奥に押し込んで忘れようとしている感情を自分の言葉で表現させることが大切だと私は思っています。

 依存症とは人ごとではなく身近な問題であり、精神科医療に携わる者として依存症という病気の社会的偏見に振り回されないよう心がけたいと思っています。(松原卓也 勝連病院)