沖縄県・伊江島でも屈指の牛飼い名人と言われる永山愛子さん(73)が、15日に村家畜競り市場で行われた競り市で、約50年の牛飼い人生に幕を閉じた。子や孫が本島から駆け付ける中、「ななの2号」の綱を引き、購買者や関係者に深々とお礼。2頭とも高値で取引され、愛牛との別れに涙を浮かべた。

出荷前の「ななの2号」と、永山愛子さん(左)、息子の和樹さん(右)と妻のゆかりさん=伊江村東江前

 永山さんは1965年から葉タバコやサトウキビの生産を営む中、畜産業を始めた。当初は、朝5時に起きて牛馬車で遠く離れた牧草地に行き、カマで草刈りをした。母牛への受精も当時は人工授精ではないため、2キロ以上離れた西江上区にある種付場まで、大きな2頭の牛の綱を引き、受精させたこともあった。育児や家事をしながらも「一度もつらいとは思わなかった」と20代の頃を淡々と振り返る。

 74年には女手一つでの飼育技術が高く評価され、東京で開催された畜産の優良技術者発表会で、「グループ活動と私の肉用牛繁殖経営」と題し、県代表として発表。その後、畜産業への思いが強まり、ピーク時は30頭余りを飼育。県の競り市で初めて子牛価格100万円以上の高値取引をするほどまでになった。

 近年は足が痛むことも多く、断念せざるを得ないと考え、昨年まで11頭飼育していた牛を計画的に売買。残りの2頭を初競りで上場することを決意した。

 競り市前日は子牛去勢の「愛桜号」と、愛桜号の母牛で4産目を控える「ななの2号」を洗い流し、最後の畜舎清掃をした。永山さんは競り市を終えるたび、長年支えてくれた友人の知念久子さんに報告していたが、知念さんは昨年6月に他界。「高値で売れて牛飼いも終わった。ありがとう」と亡き友に報告した。

 飼育管理のこつを「ストレスをためないようスキンシップを取っている。掃除の際も気を配り、時折声を掛けると良い」と名人としての助言を送る。四六時中、牛への愛情を注いだ永山さん。「足が治ったらまた牛を飼いたい。生まれ変わっても牛を飼いたい」と語った。(島袋裕次通信員)