中里友豪の第7詩集を読む。本書には「靴」から「記憶」まで26篇(へん)の詩が三つのパートに編集されている。私は、中里詩の特徴と意義を知性と感性のバランスの良さと評価してきた。今回の詩集を読んでも、そう思う。

アローブックス・1728円/なかざと・ゆうごう 1936年那覇市生まれ。60年琉球大卒。98年詩集「遠い風」が山之口貘賞。ほか詩集「キッチャキ」、エッセー集「思念の砂丘」、戯曲「越境者」など著書多数。詩誌「EKE」同人、演劇集団「創造」団員

 例えば、「スー・チーさんの髪飾り」。この詩では知性の前提として「スー・チー」、「軟禁」、「ミャンマー」などがキーワードになっている。そして「束ねた髪にはいつも花が揺れている」と感性はとらえる。最後に「求めるとき自由は自由になる/安住すればさわやかに腐食する」と結ばれる。よくまとまった好編だ。

 このように、アフォリズム(箴言(しんげん))に近いような批評性を帯びた結語の詩が読む者を楽しませる。

 「海へ行こう/靴を脱ごう」(靴)。「石、投げたい」(長いロスタイム)。「わたしは、/忘れない/戦争の悲しみを」(思いつづける)。「久し振りにいい天気だ/地球の風もいい」(風)等と。

 中里の知性と感性には、長い人生で体験してきた知識や記憶がすり込まれている。戦中、戦後の体験から生まれた詩表現である。

 七十年前ぼくは九歳だった

 山の避難小屋で

 ただただ飢えていた

 この飢餓の記憶

 そしてなによりニオイの記憶は

 何年経っても忘れることができ

 ない

(「記憶」)

 体験は記憶として結晶化している。そして長い間の詩的鍛錬が感性を磨きあげている。

 「何かが/スッと魂を擦(かす)った/爆発が星を生んだ/地球は仮に宇宙の中ほどに在るとして/すでに存在そのものが飛沫である/許される未来は/自転だけである」(風)。感性は存在論的にここまで届いたのだ。

 70代に書き継ぎ、80代で詩集にした。中里のこの詩的精進に讃辞(さんじ)を惜しまない。読みやすく楽しい詩集だ。(高良勉・詩人)