【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

収穫したニラの根を処理する知花キヨさん(左)=1月6日、沖縄市

 沖縄市の小規模多機能型居宅介護事業所「きづきの家」に隣接した菜園。ムーチービーサにはほど遠い、汗ばむ陽気に包まれた1月6日午前中、利用者の知花キヨさん(87)は地べたに腰を下ろし、スタッフが収穫したニラの根をはさみで切りそろえていた。

 「自分たちは篤農家。野菜から花から何でも作った。サトウキビも相当の量。女であれだけつくる人間はなかなかいない。動物もたくさん飼っていたんだから」。認知症と診断され約7年。口数は減ってきても、農業や子育てに奔走した若い日の思い出になると話は別だ。

 キヨさんは北大東島で生まれ、両親の出身地・大宜味村の山中で沖縄戦を体験した。戦後は北大東へ戻り、村長を通算7期務めた夫の俊夫さんを支え5女に恵まれた。製糖期には、自宅そばの長屋に寝泊まりする、本土や外国の援農者の世話で大忙し。県知事ら視察団が島を訪れた時は、手料理で大宴会を盛り上げた。四女の新川美津留さん(50)の記憶に残る当時の母は「勝ち気で要領が良く、生きる力があった」。

 菜園での作業が30分ほど過ぎたころ。ぽつぽつと雨が落ちてきたが、手元に夢中のキヨさんはスタッフの心配も意に介さない。本降りになってようやく立ち上がると、助けも借りず足早に屋内へ向かった。「キヨさんはあまりお風呂に入りたがらないので、午前中は1時間くらい体を動かしてもらい『汗を流そうね』とお風呂場へ誘導します」。施設管理者の與那嶺清美さん(52)は、ちょっとした“作戦”を明かす。

 「きづき」は通所を核に訪問や宿泊のサービスを組み合わせ、利用者の在宅生活を支援する。63~102歳の登録者17人は1人を除いて認知症。キヨさんは沖縄市の美津留さん宅で孫の翔也さん(23)と3人で暮らしながら、平日の昼間は「きづき」のデイサービスに通い、週2日宿泊する。

 利用してまもなく2年。すっかり生活の中心となった「きづき」をキヨさんは「学校」と呼ぶ。「今年はキヨさんの指導でムーチーを作ったんですよ。若いスタッフには特に厳しくて」。與那嶺さんが話すように、季節の行事でリーダーシップも発揮している。

 症状は少しずつ進んでいるが、要介護度はこの2年、変わらず「2」。「一時はどうなることかと思っていたけれど、『きづき』のおかげで、仕事や好きなことに打ち込みながら母を見守ることができる」。発症後もしばらく独居していたキヨさんとの「綱渡りの日々」を思い返しながら、美津留さんはしみじみと感謝の言葉を連ねた。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)