【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

「どんどん記録力がダウンしている」と話す進さん。「できることはやり続けたい」と思っている=那覇市

 宮古島で生まれた安谷屋進さん(78)=那覇市=は島内の高校を卒業後、琉球大学に進学した。音楽好きで「夜通しいろんな楽器の練習をした」と振り返る。音楽教諭の免許を取得し、22歳で教員に。1999年に定年退職するまでの8年間は、小学校の校長も務めた。

 妻昭子さん(77)が異変を感じたのは、6年ほど前。いつも2人で見ていたテレビドラマの俳優を、進さんは「初めて出る人だね」と言った。

 何回も出てるのに、何で-。不安になった昭子さんは「お父さん、病院に行ってみたら」と提案したが聞き入れない。その半年後、進さんは自ら「僕、何か物忘れがひどいみたい」と打ち明けた。病院で検査を受け、「アルツハイマー型認知症」という診断結果を2人で聞いた。

 昭子さんは「(進さんは)別に怒るわけでも、驚くわけでもなく、淡々と聞いてましたよ。体にはなーんの変化もないから、ピンと来てなかったのかもね」と振り返る。

 そんな進さんが感情をむき出しにして怒りをぶつけたのは、50年以上持ち続けた運転免許証を手放したとき。昭子さんは「あの時は大変だったのよ」と苦い顔をする。

 認知症と診断されて4年ほどたった2015年夏、進さんは免許証を返納した。当時、認知症高齢者の交通事故を報じるニュースが目に付くようになり、昭子さんは2人の息子とも話し合い、進さんを説得。嫌がりながらも応じた進さんだったが、返納して実感が湧いたのか、免許センターから帰る車中「事故を起こしたわけでもない。ちゃんと運転できるのに…」と不満を口にした。

 それから毎日のように「免許を取り上げられた」「運転できなくなった」と愚痴った。1カ月後、病院で医師に向かって「僕は何ともないのに、君は運転免許証を取り上げた!」と怒鳴り、会計の事務員にも「あの先生は、僕の免許証を取った。何で返さんといけんのか」とすごんだ。

 進さんは1年半たった今も「不愉快だった」と話す。「まだ運転できると思う。妻がいないとアコーディオンの演奏にも行けないし、人生は一変した。妻の運転も危なっかしいし…」

 横で聞いていた昭子さんは「私、あんまり上手じゃないからね」と申し訳なさそうに笑う。「もう少し運転させてあげればよかった」と思うこともあるが「『事故があった後では遅い』という気持ちが強かった」と振り返る。そして「まあ、そんなこともありましたけどね、彼のことでそんなに深刻に悩んだことはないですよ」。あっけらかんと切り出した。

 「(認知症は)隠した方がいい、というのが社会の雰囲気。でもこの人は、自分から『認知症だ』と周りの人に言ったんだもの」(「銀髪の時代」取材班・新垣卓也)

(写真説明)「どんどん記憶力がダウンしている」と話す進さん。「できることはやり続けたい」と思っている=那覇市