2017年(平成29年) 12月13日

銀髪の時代 「老い」を生きる

母の介護で生き方見直す 「優しく笑い合える関係でいたい」【銀髪の時代】

【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

家族の思い出を語り合う知花キヨさん(中央)と娘の新川美津留さん(右)、孫の翔也さん=昨年12月、沖縄市

 昨年12月、沖縄市の新川美津留さん(50)宅。美津留さんが母の知花キヨさん(87)や長男の翔也さん(23)とのぞきこんでいたのは、新旧がまざった家族写真だった。白や紅型模様の衣装をまとっているのは国指定重要無形民俗文化財、大宜味村塩屋のウンガミ(海神祭)の際に撮影されたキヨさん。美津留さんは「ウンガミに通う、カメラ好きの方がプレゼントしてくれたんだよ」と語り掛けた。

 塩屋の郷土誌によると、キヨさんは27歳の時、両親の生まれ故郷で年中行事をつかさどるカミンチュ(神人)になった。「頭が痛いのが続いて『カミングヮしないと治らない』とおどかされて」と言う。体力の衰えから半世紀以上務めた大役を退いたのは4年ほど前だ。「思い出したように『行かないと』と心配する。本人の中では時々、現役みたいです」と美津留さんはほほ笑んだ。

 名護市からキヨさんを呼び寄せたのは“引退”後だった。美津留さんは直前に夫の博文さん=享年(50)=を脳腫瘍で亡くし、息つく暇もなかったが「認知症が進む母を1人にできなかった」。

 いざ同居してみると、誰かが服やお金を盗んだと不安がり、同じ話を繰り返す。「病気のせいと分かっていても、疲れている時はついつい頭にきて言いすぎる」。キヨさんは今、小規模多機能型居宅介護事業所の通所や宿泊サービスを使いながら在宅生活を続けるが、近ごろは「ここはどこ」と混乱することも増えた。

 ただ、今の美津留さんには夫や母の介護を一身に担った、かつての気負いはない。博文さんが亡くなった後、足を運んだ「終活」のイベントが生き方を見つめ直すきっかけになり、終活カウンセラー資格を取るほど熱心に学んだ。「息子たちには迷惑をかけたくないし、私は私の居場所を見つけ、人生を歩いていかないといけない」

 3月には、キヨさんの送迎や見守りを手伝う翔也さんが大学院進学で沖縄を離れるため、仕事や地域活動をこれまで通り続けられるか気掛かりだ。「このままだと私自身が我慢してストレスを抱えかねず、母にとっても幸せなことじゃない。それなら利用できるものは利用しながら、優しく笑い合える関係でいたい」

 キヨさんが安心して“定住”できるよう近い将来、認知症高齢者らのグループホームに入居させようと考えている。

 がむしゃらに試練を乗り越えてきたからこそ「より良い選択」との自負がある。「頼られると何でも引き受けるタイプ。もう少し楽にしていい」。翔也さんにそう気遣われると「そんなこと思っていてくれたの」と美津留さんの目が潤んだ。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)=この項おわり。

認知症の私は「記憶より記録」
大城勝史
沖縄タイムス社
売り上げランキング: 158,134

あわせて読みたい

関連リンク

銀髪の時代 「老い」を生きるのバックナンバー

アクセスランキング

ニュース 解説・コラム
24時間 1週間
24時間 1週間