【仲地清通信員】明治政府の琉球処分、台湾植民地などアジア侵略政策のきっかけになったとされる「牡丹(ぼたん)社事件」で殺害された宮古島島民を弔う墓が、台湾屏東県東城郷にある。事件を研究する台湾在住の琉球史研究者は、沖縄から訪れる観光客が東城まで足を延ばし、事件を通して台湾史と琉球史の深いつながりを知ってほしいと、勧めている。

「牡丹社事件」の犠牲者の名前が刻まれた墓

「沖縄の人に事件を知ってほしい」と話す比屋根亮太さん

「牡丹社事件」の犠牲者の名前が刻まれた墓 「沖縄の人に事件を知ってほしい」と話す比屋根亮太さん

 琉球御用船が首里王府へ年貢を納めた後、宮古島へ帰還する際に台湾に漂流し、54人が台湾の先住民に斬首された「牡丹社事件」または「宮古島島民遭難事件」(台湾では八瑶暚湾事件とも呼ばれている)。墓標には「大日本琉球藩民54名墓」と刻まれ、犠牲者の名前も判読できる。

 沖縄から台湾に訪れる観光客のコースは、台北市内の台湾総統府、故宮博物館、龍山寺、蒋介石の中正記念堂、孫文の国父記念館などが定番。「琉球藩民墓」がある南の屏東県東城へは、台北から新幹線「高鉄」で高雄へ2時間、さらに乗り合いバスで1時間で国城へ着く。

 琉球藩民墓のある一帯は、かつては山岳地帯だったと推測されるが、現在は東城郷の住宅地で、地元の人々も琉球藩人墓のことをよく知っている。現在の墓は1983年に修復され、屏東県は一帯を「琉球藩民記念圓区」に指定し、重要な歴史的遺跡としている。

 毎年、お参りに訪れる宮古島出身者ら遭難者の遺族のため通訳として支援している台湾大学政治学部博士課程学生の比屋根亮太さん(29)は「明治政府のアジア侵略拡張政策の出発となった重要な場所。日本人訪問者が少ないので、特に若い人々は訪ねて勉強してほしい」と話す。

 同事件研究の第一人者、台湾教育大学の楊孟哲教授は著書「1874年那一役牡丹社事件 野蠻興假假文明的対決」を2015年に出版。「沖縄からの訪問者に事件の現場や当時の様子を説明し、地元民がどのように生存者を救助し琉球に送り返したかを話す中で、新時代の台湾と沖縄の交流に生かしたい」と語った。