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  • 95年の暴行事件を受け沖縄の負担軽減を巡り米政府内で意見が対立
  • 国務省は在沖基地の必要性に疑問を呈したが、国防総省が応じず
  • 協議は軍が主導し、結局は駐留維持を前提としたSACOが設置された

 【平安名純代・米国特約記者】1995年の米兵による暴行事件を受け、沖縄の米軍基地負担軽減をめぐり、米政府内で見解が分かれていたことが1日までに分かった。国務省が県内すべての米軍基地や施設の必要性に疑問を呈し、在沖米軍のプレゼンスの見直しに着手したものの、国防総省側が協議に応じず、在沖米軍の駐留維持を前提とした日米特別行動委員会(SACO)が設置された。

ウィンストン・ロード元米国務次官補

 米外交問題評議会(CFR)の元会長で、クリントン政権時に国務次官補(東アジア・太平洋担当)を務めたウィンストン・ロード氏が国務省の口述記録のなかで明らかにした。

 ロード氏は95年の事件について「長期化している基地施設の整理縮小という課題への真剣な取り組みが示せなければ、米軍全体のプレゼンスが影響を受ける恐れがあった」と述べ、在日米軍だけではなく、日米関係そのものをおびやかしかねなかったと当時の衝撃と事件に対する県民の怒りの大きさを回顧した。

 その上で国務省側が「沖縄の米軍のプレゼンスの見直しに着手した。沖縄県内のすべての米軍基地や施設は本当に必要なのかどうかを協議していた」と述べ、県道104号線越え実弾砲兵射撃演習や騒音を伴う夜間訓練の必要性などを検証した過程に言及。国務省内で包括的な見直しを始めたものの、「われわれ(国務省)は緊張感のないペンタゴン(国防総省)を説得できなかった」と指摘。国防総省(米軍)が米政府内の協議を主導し、県内駐留維持を前提に軽減策を検討する日米両政府が特別行動委員会(SACO)が設置されたとしている。

 ロード氏は、当時のペリー国防長官が橋本龍太郎首相から普天間移設と引き換えに代替施設を提供するとの合意を得ようと交渉していたとし、「米軍基地の維持(移設または統合)は、米国だけではなく、日本の国益でもあると示される必要があると強調していた」と指摘した。

 ペリー元国防長官は昨年6月の本紙インタビューで、「基地の提供地をどこにするかを決めるのは日本だが、私自身も(普天間の移設先は)県内が最適と捉えていた」と証言していた。