作家で、国家の暴力性を問い続ける北原みのりさんが19日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるるで「性と国家」をテーマに基調講演する。オスプレイ配備撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念を求める東京行動(2013年1月27日)を目撃したという北原さん。日の丸を掲げる群衆が沖縄のデモ行進に暴言を浴びせる様子を見てがくぜんとし、嫌韓・嫌中を叫ぶ女性たちを取材した共著「奥さまは愛国」の出版につながったという。「性」の視点から国家の在り方を考える必要性について北原さんにメッセージを寄せてもらった。

作家の北原みのりさん

 4年前の1月27日、私は銀座にいました。たまたま通りかかったのです。中高年集団が日の丸を激しく振り沖縄を攻撃する様は地獄にしか見えませんでしたが、私は足がすくみ、ただ呆然(ぼうぜん)と突っ立っていました。「愛国女性」を追いはじめたのは、それから3カ月後のことです。

 彼女たちが最も熱心に攻撃していたのは、「慰安婦」女性たちでした。「被害者面してずるい」。誰もがそう言いました。「ずるい」とは、自分が我慢し損しているという自覚がなければ出てこない感情です。

 「慰安婦は兵隊さんを癒やす尊い仕事だ! 私もやりたい!」と叫ぶ一方で、「お金が目当てだろう被害者ぶるな」と、引き裂かれた思いを同時に叫ぶ彼女たちは、経済基盤や社会的地位のない不安定な若者ではなく、家庭と仕事を「持っている」中高年でした。

 当時はそのことに衝撃を受けたものですが、4年を経て思うのは、果たして彼女たちが本当に「持って」いたと言えるのかという疑問です。

 「慰安婦」問題にしても沖縄の基地問題にしても、多くの人は無関心であることで政府や差別者に荷担(かたん)し続けています。その残酷さは年々増しているようにもみえる。「持っている」ように見える人たちですら、脆弱(ぜいじゃく)な社会基盤と浅い人間関係のなか、熾烈(しれつ)な不安を抱え生きているのが日本社会の現実なのかもしれません。

 少なくとも私が出会った女性たちにとっての「愛国」は思想や主義などではなく、これ以上損するわけにはいかない、と他者への想像力を閉ざした凶暴で残酷な「生き方」の選択のようにもみえるのです。

 当時の私は、彼女たちが「正義」を信じている、だからこそやっかいだと、理解していました。「正義」を盲信(もうしん)することが先の戦争で多くの命を奪う原因になった、「正義」とは声高に叫ぶものではない、という考えからです。

 ただ、これも4年経て思うのは、国家の言う「正義」と、最も虐げられている民たちの求める「正義」を一緒に語るべきではないということ。日本のリベラルな言論人が、客観的中立にこだわるあまり、民からの「正義」すらまともに叫べない問題を痛感しています。

 国家に対峙(たいじ)するための「正義」、「愛国」に回収されず、他者を排除するものではない思想としての「正義」とは何だろう。そんなことを沖縄の運動、そして「慰安婦」の運動を通して考えています。そんなお話を、もっとしていきたいです。

 きたはら・みのり 作家。時事問題から普遍的テーマまでをジェンダー観点で考察。著書に「毒婦。」「さよなら、韓流」「奥さまは愛国」など多数

「性と国家」基調講演19日那覇市てぃるる

 「性と国家」は19日午後2時から(1時半開場)。入場料は一般前売り千円、学生500円(高校生以下無料)。当日は各200円増し。講演会についての問い合わせは、メールseitokokka.okinawa@gmail.com 入場券販売は沖縄タイムス本社受付、中部支社、北部支社、天久台病院受付、ミーノカフェ(那覇市)。