【読谷】米ハワイに移民し、戦後沖縄に豚550頭を送った中心メンバーだった故嘉数亀助さん=糸満市出身=が、沖縄戦で捕虜となりハワイで収容された、おいの故清昌さんらの望郷の思いを案じて差し入れた三線が4日、読谷村文化センターで奏でられた。

ハワイから沖縄へ戻った三線を持つ嘉数進さん(左)と琉球古典音楽野村流保存会の勝連繁雄会長=4日、読谷村文化センター鳳ホール

 三線は亀助さんが移民する際に持参し、近年は、清昌さんの弟の進さん(72)が糸満市真栄里の自宅で保管していた。三線がハワイへ渡り、差し入れられた経緯が発覚したのは、今年に入り、進さんが三線の革を張り替えたのがきっかけ。

 棹(さお)の先に墨のようなもので書かれた嘉数家の屋号「前真知田(めーまちた)」の文字が見つかったほか、ハワイ県系人の聞き取りや文献から、収容所で亀助さんが差し入れたことが判明。琉球古典音楽の人間国宝・照喜名朝一さんらの調査で、昭和初期にクロキで作られたことも分かった。

 三線は、午後2時の時報に合わせ、琉球古典音楽野村流保存会の勝連繁雄会長が「かぎやで風」を弾いた。進さんは「最高に良かった。ハワイでの苦労を見て戻ってきた三線の歴史を感じた」と感慨深げ。勝連会長は「収容所で誰かが弾いていたんだろう。沖縄を離れたウチナーンチュにとって、三線ほど沖縄がしのばれる楽器はない」と当時に思いをはせた。

 沖縄戦で米軍の捕虜となりハワイの収容所で亡くなった県出身者の慰霊祭は6月にハワイで開かれる。進さんは、この三線を持って現地を訪れ、照喜名さんが式典で演奏する。