6年前のきょう、私たちは目撃した。テレビや新聞・ラジオを通して。息をのむような大災害を、その地におらずとも日本中の誰もが見聞きした。

 未曽有の災害に遭遇した被災地や被災者。生活再建と地域復興に政府はかつてない規模の国費投入を決めたが、それに異論を唱えた人はいないはずだ。

 現在も避難者は約12万3千人にのぼり、うち約3万6千人がプレハブの仮設住宅で暮らし続けている。被災から5年後には仮設住宅がゼロになった阪神大震災と比べても際立つ状況だ。

 6年がたち、復興支援策は次々と打ち切りを迎えている。自主的な原発避難者への住宅無償提供にはじまり、被災した事業者への資金貸し付けも、利子据え置き期限を過ぎた制度が少なくない。

 支援策の期限は、被災自治体が整備を進めてきた災害公営住宅の空室発生の要因の一つともなっている。完成に時間がかかりすぎたことで、待ち切れない被災者が入居を取りやめたケースとともに、国の家賃減免策の期限でいずれ値上がりする家賃が入居を足踏みさせている事例もある。

 被災経験した子どものケアを担うNPO法人への国の財政支援は、可否が1年ごとに決まるため不安定な運営の要因となっている。関係者は「国は長期的な方針を示してほしい」と話す。

 避難者の数を見れば、被災者の生活再建はようやく緒に就いたばかりと言わざるを得ない。5年や10年という単純な区切りではなく、実態に即した支援の継続が必要だ。

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 復興への道筋をつけようと被災者は懸命だ。津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町ではことし、新たな商業施設が開業。岩手県釜石市には被災者らが営む飲食店街が完成した。

 宮城県の名産、養殖ギンザケは生産量が8割回復。同県山元町のホッキ祭りには県内外から大勢が訪れた。だが事業者や漁師は「地元客がいない」と不安を隠さない。

 以前から過疎化傾向にあった被災地を、震災後は急激な人口流出が襲った。被災3県の人口は、内陸部や一部の市で回復しつつあるものの、津波に襲われた沿岸の多くの町や村は、いまだ空き地が目立つ。

 こうした被災地の人口減少は、年月がたつにつれ深刻さを増している。被災を地域消滅のきっかけにすれば、国の復興支援は失敗だったことになる。新たな人口流入を呼ぶ地域再生の仕組みづくりが急がれる。

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 被災地で踏ん張る沖縄県出身者もいる。琉舞を披露して心の支えになったり、行政支援に参加したり、方法はさまざまだ。遠く離れて暮らす私たちにもできることは多い。旅行やボランティアで被災地を訪れる。県内の自主避難者に寄り添う。国や自治体の復興支援の継続を要求し、実施を監視する。

 何より、6年前のあの日見聞きした光景を忘れないことだ。震災の風化を防ぐ手だては、私たち一人一人にあることを自覚したい。