日に日にやせていく、まだ小学生の一番下の妹。「これを死なしたら、アンマーになんと言う?」自問を繰り返すミツ。自分のほかに2人の妹と末の弟、子ども4人だけで台湾へ疎開してきた。無一文。自分たちで生きなくてはならない。上の妹は、ただ1枚の洋服を部分ごと数回に分け、下の妹のためにアヒルの肉や卵と交換してきた。

「台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月」(南山舎・2484円)

 12歳の浩は母が妊娠中で同行できなかった。9歳の妹と知人の女性と共に疎開した。だが、その女性も失踪。兄妹は防空壕に潜んでいるヘビを捕らえて炊いてスープにしていた。

 いずれも本書に登場する台湾疎開からの生還者の回想である。

 アジア・太平洋戦争の末期、1944年後半から、女性や子ども、高齢者など、石垣島や宮古島の住民を中心に約1万人が沖縄から台湾へ疎開した。生活費や食料の確保など疎開者に対する公的な援助は、終戦が近づくにつれて機能しなくなり、戦後、疎開者たちは「棄民」化していく。

 終戦直後の無政府状態では、それまで植民地台湾で高圧的に振る舞っていた日本人(現地では「内地人」と呼ばれた)が、一転して台湾の人々から迫害を受ける。ただ、前述の浩の回想では、同じ内地人の間でも一段低く見られていた沖縄出身者は「琉球人」と呼ばれ、日本本土の出身者より少しばかり親しい扱いを受けたという。自宅の門に「琉球人」と張り紙し、報復を避けた石垣島出身者もいたそうだ。その一方、引揚げ船が難破した時など、疎開者が台湾の人々から助けられることもあった。個人的な語りを公的な記録で補強し、著者は戦争の実相と国家に翻弄(ほんろう)される「いのち」の根源に迫る。

 終戦からやがて72年。「棄民」だの「琉球人」だのは、果たして過去のことだろうか? 山之口獏が詠んだ「酋長だの土人だの唐手だの泡盛だの、同義語でも眺めるかのやうに、世間の偏見達の眺めるあの僕の国」、このオキナワで-。(大森一也・南山舎編集)